フランシスコ
の家の想い出



戸波先生のページ
更新日

2020年
10月30


更新日

2025年
1月
1日
社会の中で福音に生きるとは、「小さい親切を行う」これに尽きると思います。50年の私の信者生活の総決算です。「自分のことより他人のことを先にしなさい」と同じです。


2025年1月1日
 新しい年が明けました。今年もいい年でありますように。
 ブログは左上のブログの写真をクリックすると見られます。

2024年1月1日
 
新しい年が明けました。今年もいい年でありますように。

ブログを再開することにしました。左上のブログの写真をクリックすると出ます(2023.12.18)

 前回の「トム老人のブログ」は、2006年から2015年までで、2019年に再開しようとしましたが、続きませんでした。それはこのページの下の方にありますから、ここをクリックするとジャンプします

はるとピアノ(2023.8.30)
 愛犬のはるは今年4歳になりました。早朝は出勤前の長男が、夕方はわたしと、時には家内と一緒に近所を散歩しています。2年ほど前から、私と家内がピアノで連弾の練習をしていると、はるも一緒に歌うようになりました。これらの動画を投稿したところ、5月の末にNHK京都放送局が放送してくれました。

長い間お休みしました(2023.8.25)
 今日で私は85歳になりました。コロナで引きこもり気味が続いて、気力も少し落ち、足取りもおぼつかなくなり、目は本こそ老眼なしで読めますが、テレビの小さい文字は近づかないと読めない、耳は少し遠くなって人の話は聞き直すことが多くなりました。それでも好奇心はなかなか衰えていません。最近はローティの「反本質主義」が面白くなって、もうちょっと考えたいなと思うようになりました。毎日パソコンでニュースを見たり、ChatGPTで会話を楽しんだり、Stable Diffusionで絵を描いて楽しんでいます。ピアノはもう数曲しか弾けませんが「クシコス・ポスト」は、愛犬の「はる」が一緒に歌ってくれるので、数日に1回は弾いています。このホームページもようやく更新する元気がでてきました。さあこれからです。

失われた時を求めて(2021.9.5)

 去年の春からコロナの感染が広がって、年金生活の私も医者通い以外はほとんど外出しなくなりました。この8月末で私はようやく83歳になりましたが、それまで図書館に通い詰めの本の虫だったのが、全部アマゾンから購入することにして、量が1/3くらいに減りました。その分、1冊にかける時間が増えて、それなりに読書の楽しみも変わりました。40年前に1度読み終わり、それを部分的に何度か読み返していて、10年前に別訳で通読した『失われた時を求めて』を3か月かけて読み終わりました。このページに久しぶりにそのことを書きつづりました。イラストは集英社文庫の『見いだされた時U』の表紙のイラストです。多分少年の頃の書き手が見初めたジルベルトとの公園の場面だと思います。


クリスマス・コンサートで連弾
(2019.12

  2019年12月22日(土)、田中美弥子ピアノ教室のクリスマス・コンサートが開かれました。家内がそれまでのピアノ教室から変わって3年、今回は「クシコスポストを家内と連弾させていただきました。1回目は「アヴェ・マリア」、2回目は「小さい秋みつけた」でしたが、今回もかなり緊張しました。

「はる」は生まれて半年になりました(2019.10)
 散歩は喜んで走って、齢をとった私が付いて行くのがやっとです。家内とピアノの連弾をしていると鳴いて一緒に歌います。二階の私の部屋に駆け上がるようになりました。朝の散歩に小太郎を毎日連れて行っていた双ヶ岡の一ノ丘に、登れるようになりました。       
 犬の半年は人間なら10歳くらいです。

相聞会地唄演奏会(2019.10)
 10月13日(日)、戸波社中による相聞会の地唄演奏会が京都国際交流会館で開催されました。心配していた台風19号も前日に通り過ぎました。全員がお稽古に励んで、その成果を大勢の人に聴いていただくことができました。相聞会もメンバーが増えて、みんなますます張り切っています。

わが家に「はる」が来ました(2019.8)
 おととしの暮に亡くなった柴犬の小太郎の後、しばらく寂しくしていましたが、ようやく、新しい柴犬の赤ちゃんの「はる」が、わが家に来ました。生まれてから1か月半で、体重は2.2kgほどでした。
 生まれてから約5か月で 3回のワクチンと、狂犬病の予防注射と、京都市への登録を済ませて、最近ようやく散歩に連れて行くようになりました。元気で、家の中をはしゃぎ回っています。

相聞会お弾き初め会(2019.3)
 3月23日、第15回お弾き初め会が開かれました。お弟子さんたちも増えて、2010年2月13日の第1回お弾き初め会のプログラムを見ると5曲であったのに今回は10曲、演奏者も6名であったのに13名と大勢になりました。戸波先生や弟子たちの努力の賜物です。今年の秋には京都国際交流会館で2回目の演奏会が予定されており、それに向けて、みんなの意気込みが感じられました。

秋穂「あいお荘」のいとこ会(2018.10)
 新幹線新山口駅の南の、瀬戸内海に突き出た半島の先端にある国民宿舎「あいおい荘」で2018年のいとこ会を開きました。温泉は高台にあり、瀬戸内海の景観がきれいでした。ちょうど山口湾を渡った西側にあるきらら浜公園で、山口ゆめ花博が開かれていましたが、いとこは高齢者ばかりで、博覧会の広い会場を歩き続けるのは少ししんどいというので、朝食後少しゆっくりして宿で解散しました。

萩本陣のいとこ会(2017.10)
 来年2018年は明治維新150年にあたりますので、萩市は混むかもしれないと、1年前の今年萩の温泉の「萩本陣」でいとこ会を開きました。京都からは新山口で新幹線を下りて、高速バスで萩まで行きました。ホテルは松下村塾近くの小高い丘の中腹にあり、窓から、萩城址が見えましたが、その東の菊が浜には何度か海水浴で行き、お城の苔むした石垣が波に洗われる様子を見た記憶があります。山口の民謡「男なら」は、この菊が浜に外国船からの攻撃備えて女台場を作ったときの歌だと聞かされていました。翌日は松下村塾、反射炉、萩城址などを一緒に見回りました。

相聞会ゆかた会(2018.9)
 9月15日、第14回ゆかた会が開かれました。お弟子さんたちも増えて、とても賑やかに、演奏もお稽古の成果が出て、とてもいいものでした。弟子の井上美奈ちゃんが、平成30年度宮城道雄記念コンクールのジュニアの部で三位入賞を果たして、みんなで喜び合いました。


小太郎(2018.5)
 16年間可愛がっていた愛犬の柴犬の小太郎が昨年暮れに死にました。何か可哀そうで、これまであまり手が付きませんでしたが、ようやく想い出話を語る元気が出てきました。私は散歩の担当でしたから、元気な間は毎日一緒に散歩しました。日中はほとんど家内と二人と小太郎と過ごしていて、まるで家族の一員でした。今は家の前の庭で花に囲まれて眠っています。

戸無瀬の滝(2018.5)
 嵐山右岸(南側の岸)を渡月橋から400.メートルほど上流に向かって歩くと、戸無瀬の滝があり、京都市による新しい立札で説明されています。地唄で習った「西行桜」に出てくるので、嵐山に行くたびにこの辺りを通り、以前は何の表示もなかったので、石碑でも立てて貰えたらなと思っていましたら念願がかないました。嵐山は家から嵐電で15分ほどで良く行きますので、これからの楽しみができました。


衣笠教会のコンサート (2018.4) 
 カトリック衣笠教会(私の行っている教会)の聖堂で行われるコンサートのご案内です。右のポスターをクリックしていただければ詳細が読めます。5月3日(木祝)が左側、6月10日(日)が右側です。いずれも入場無料です。衣笠教会の場所は、京都、西大路と北大路が突きあたった場所にあり、市バス「金閣寺道」から北へ150メートル行ったところにあります。


相聞会お弾き初め会(2018.3)
 3月24日、第13回お弾き初め会が開かれました。昨年秋の京都国際交流会館大ホールでの地歌演奏会が成功して、みんな盛り上がって新しい年のお弾き初めをしました。相聞会も回を重ねるごとにメンバーが増えてきて、今年は15名と、とてもにぎやかでした。



六甲オルゴールミュージアム(2018.2)
 近くの信用金庫の「名湯の旅(めいどの旅?)で、有馬温泉に行きましたが、翌日、六甲オルゴールミュージアムに案内されました。オルゴールは、小さいおもちゃ箱のようなものをイメージしていましたが、大きい機械もあって圧倒されました。自動演奏機械という感じで、バイオリンの演奏機にとても興味がわきました。今はスマホに気に入った曲をいくらでも入れられるので、オルゴールがどれだけ喜ばれるかと思いますが、小箱に入るオルゴールは昔ながらのメカニズムで、素朴なそれがいいという人もいるんでしょう。

相聞会地歌演奏会(2017.10)
 10月14日、戸波社中による相聞会で初めての演奏会が京都国際交流会館で開催されました。写真は最後に全員で演奏した「八千代獅子」です。これまで内輪での発表会でしたから、今回は全員練習に励んで、大勢の方に成果を見ていただくことができました。


相聞会お弾き初め会(2017.3)
 3月25日、第12回お弾き初め会が開かれました。私は三味線から離れてもう4年になり、今はもっと手軽なピアノを独りで弾いたり、家内との連弾で時間をつぶしていますが、やはり和風の文化の魅力が忘れられず、相聞会がますます華やかになり、みんなの演奏を聴くのがとても楽しみです。演奏曲の中の「茶音頭」は動画でご覧いただけます。


興安丸の想い出(2017.2)
 近くの信用金庫のかに旅行で丹後に行ったとき、翌日舞鶴引揚記念館に立ち寄りました。当時の引揚者の苦労が偲ばれましたが、企画展示室で懐かしいものを見つけました。私は5歳までソウルで育ちましたが、山口県の実家に父が私を連れて帰った時、関釜連絡船で乗った興安丸の模型がありました。

アヴェ・マリアの連弾(2016.12)
 12月18日に、家内が通っているピアノ教室のクリスマス・コンサートで家内とバッハ・グノーのアヴェマリアを連弾で演奏しました。何人かから、夫婦の連弾は初めて聴くと珍しがられました。1年近くの練習しましたが、おかげで大きいミスなく、終わることができました。練習でときには厳しいことを言いあったりしましたが、多くの方の前で演奏出来て、ほっとしています。
  (連弾の動画は右の写真をクリックすると覧いただけます)

長門湯本温泉でのいとこ会(2016.10)
 10月20日に、今年のいとこ会を山口県の長門湯本温泉で開きました。ここは、山口県内では湯田温泉に次いで名湯として知られた温泉です。山口県の北西に位置して、山陰本線の長門市駅から美祢線で5キロほど南下した場所にあります。安倍首相がロシアのプーチン大統領を招いて会談する場所のようです。


相聞会ゆかた会(2016.9)
 9月24日の第11回ゆかた会の様子です。これまでで一番多い参加と演奏で、盛り上がりました。新しく4歳の子ども2人がけなげに筝の演奏を見せてくれました。この子たちがこれから何10年も練習を繰り返して、地唄の演奏家になっていくのだろうと、楽しみが増えました。


相聞会お弾き初め会(2016.1)
 1月16日の第10回お弾き初め会の様子です。先生の姉弟子が2人来て花を添えて下さいました。昨年のゆかた会からの弟子たちの精進の結果がよく表れていました。姉弟子たちの「ままの川」はすばらしいものでした。一部の演奏をユーチューブで公開ました。次の曲名をクリックしてください。
「千鳥の曲」 「八千代獅子」

飯塚のいとこ会(2015.10)
 日本の産業発展のために重要な役割を果たした石炭の中心地、筑豊炭田の飯塚でいとこ会を開きました。石炭・歴史博物館で、当時の人たちの危険な作業をパノラマなどで見て、ご苦労を偲びました。


戸波社中(相聞会)ゆかた会(2015.9)
 9月5日の第9回ゆかた会の様子です。先生の姉弟子が2人来て花を添えて下さいました。戸波社中はこれまで紅梅会といっていましたが、今回から相聞会と名前にします。相聞というのは、互いに相手のようすを尋ねること、消息を通わせ合うことですが、万葉集の中で相聞歌と言われるものには恋の歌が多いです。

秋吉中学校の校歌(2015.7)
 私が卒業したのは昭和29年、山口県美祢郡秋吉村立秋吉中学校でした。その後町村合併で秋芳町になり、さらに美祢市に吸収されたので、現在は美祢市立になっていますが、来年春、秋芳中学校に統合されると聞いて、当時の校歌を知りたくなりました。中学校にメールで問い合わせたところ、親切に教えてくれました。

一、見よ 高原の天の川/かかりて万古 輝けり/正義をとりて 生命とす/風波 何かはたじろがむ/祖国は待てり 若人に/力あはせて 奮ひ立て
二、聴け 洞窟の滝の水/うがちて千秋 とどろけり/真理をさぐり 使命とす/険阻いかでか 超えざらむ/時代は呼べり 若人を
  睦みきほひて 究めゆけ
三、それ 青雲の志/いだきてここに 琢磨する/前途をひらき 抱負とす/重任なんぞ 物ならむ/母校は期せり 若人に/個性に生きて 大を成せ

戸波社中のお弾き初め会(2015.2)
 2月14日の第8回お弾き初め会の様子です。先生のお弟子さんたちがお稽古のほどを披露しました。今回は先生の姉弟子の先生が来て下さいました。私も呼んでいただいて、気楽に地唄を楽しみながら撮影しました。

下関のいとこ会(2014.10)
 10月9、10日と、いとこが下関に集いました。61〜82歳まで10人、宿は火の山ロープウェイの下、海峡ビュー下関。ベランダからの展望が素晴らしいものでした。京都では来年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」で、山口県関係者がやまぐち幕末ISHIN塾を開き、「幕末と言う時代」「吉田松陰と明治維新」「文の生涯」の話を聞いたりしていましたが、地元ではまだ関心はそう高くないようでした。

戸波社中のゆかた会(2014.9)
 9月13日の第7回ゆかた会の様子です。先生のお弟子さんたちがお稽古のほどを披露しました。私は今は撮影担当で全演奏をDVDに収めて皆さんにお渡ししました。


戸波社中のお弾き初め会(2014.3)
 3月29日の第6回お弾き初め会の様子です。先生のお弟子さんたちがお稽古のほどを披露しました。私は今回は招待され演奏なしで気楽に楽しむことが出来ました。三味線から離れてちょうど1年になりますが、地唄は少し重いので、母がやっていた端唄くらいをちょっとやってみようかなという気がしました。


寅さんの葛飾柴又に行ってきました(2013.10)
 米田神父が「寅さんとイエス」という本を書かれて、それを読んで改めて「男はつらいよ」48作を全部見ました。葛飾柴又に行きたくなって家内と二人で行ってきました。故郷に帰ったような印象を受けました。

京都市民邦楽会2013年度(2013.9)
 私はこの春三味線をやめましたので、今年の市民邦楽会には出演しませんでした。戸波社中の人たちは神原社中の人たちと「秋の野」を合奏しましたので、その報告です。私は客席でビデオカメラを操作しながら聴きました。去年までの緊張感はなくて気楽でしたが、昨年まで家内に任せていた撮影は結構大変でした。


富士登山の想い出(2013.7)
 テレビで富士山のことを度々取り上げるので、私が25年前に登山したことを思い出して写真を探したら出てきました。東京単身赴任の頃です。石碑は日本最高峰富士山剣ヶ峰とあります。
 新宿を夜出て五合目までバスで行き、そのままご来光に間に合うように登りました。今でいうなら弾丸登山だったかも知れません、課内の若い人たちに誘われてでした。

蜂と神さま(2013.5)
 カトリック新聞で声楽家の山崎浩氏が金子みすずの詩に曲をつけた楽譜集にまとめたという記事を読みました。金子みすずは郷土の人で私もそのファンの一人ですが、私がホームページを作った最初のころのことを思いだしましたので、ここに再掲します。
 アニメを作るために、蜂の絵と花の絵を描き、蜂の位置と羽を動かした画像を何枚も作り、動きを表現したものです。
 当時はゼロと無限に惹かれましたが、今は無と神秘、瞬間と永遠について思いを巡らせています。古東哲明の「瞬間を生きる哲学」とかプルーストの「失われた時を求めて」とか、シモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」などです。


地歌筝曲合同勉強会(2013.3)
 神原先生社中と戸波先生社中合同で、勉強会を開きました。京都アスニーは50人ほどの和室ですが、中ごろには約百名の方が聴きに来ておられました。私は「竹生島」を戸波先生と塚本さんと一緒に演奏しました。練習にはかなり打ち込みましたので達成感は素晴らしいものでした。

白川郷の夜景(2013.1)
 ジパングのツアーで白川郷のライトアップに行ってきました。天使や小人たちが住んでいるようなおとぎの国でした。集落の全体を見渡せる展望台があるというので、滑りやすい30分ほどの雪道の坂を登り、大勢の人が見守る中で点灯の時間を待ちました。左の写真は、闇になりきる直前、点灯が始まったころの高台からの集落全体の様子です。

近隣教会OB会(2012.11)
  先日、近隣の教会の昔の壮年(今は老年)16人がビールを飲みながら放談会をしました。30数年前から「からしだねの会」という名前で、3教会の壮年を中心に、年に1,2回集まってビールを飲みながら親睦をはかっておりました。その悪友たちが久しぶりに集まったものです。

いとこ会を開きました(2012.11)
 山口県で育った私がほとんど山口県在住のいとこに京都から呼びかけて、去年は京都でいとこ会をやりましたが、今年は地元の温泉で集まりました。
 近辺の中原中也記念館、瑠璃光寺の国宝五重塔、枕流亭、菜香亭、ザビエル記念聖堂なども見て回りました。写真は明治元勲や戦後の日本の総理が愛用した菜香亭の写真です。

市民邦楽会で「秋しのぶ」を演奏しました(2012.9)
 平成24年度の市民邦楽会が9月9日(日)、京都市北文化会館で開かれました。去年の京都会館第二ホールの「くさまくら」と同じ花洛会で戸波社中の一人として出演させて貰いました。
 市民邦楽会は、主催が京都市・京都市芸術文化協会、協賛が京都三曲協会で毎年行われています。

戸波社中のゆかた会(2012.8)
 8月25日のおさらい会第5回の様子です。男性の仲間が増えました。また三味線のメンバーも増えました。とても楽しみです。最後に戸波先生と塚本先生が箏の調子を変えて(多分平均律)「ハピー・バースディ」を弾いてくださるハプニングがあってこの日が私の74歳の誕生日であったことを思い出しました。

美祢高クラス会を開きました(2012.6)
 待望の55年ぶり、卒業以来初めてのクラス会を開きました。右の写真は校章にも使われている秋吉台に咲いている竜胆(りんどう)です。校歌に「りんどう開く高原の自然の色の染まじやは」ともあります。
 東は関東、西は北九州まで離れていて、仕事もありこれまでなかなか集まれなかったのが残念です。74歳の老人では多分こうして顔を合わせるのはこれからは難しいと思われるだけに、底抜けに楽しみました。

老人ホーム訪問記(2012.5)
 知人が入居している養護老人ホームに行ってきました。愛宕山の北西に位置して、自然環境に恵まれた静かな場所です。往復は山道を1時間ほど車で走りました。舗装はされていますが1車線で出会い頭に対向車とぶつかって深い谷に落ちたら大変な道ですが、ガードレールも整備されています。

美祢高の想い出(2012.3)
 55年前に卒業した山口県立美祢高等学校のクラス会を京都でやろうと呼びかけているところです。クラスの中で京都に住んでいるのは私だけです。その頃のことを考えると、懐かしさと少しほろ苦い想い出がたくさん浮かんできます。春秋の遠足には毎年歩いて近くの秋吉台に行っていました。右の写真はその秋吉台です。

戸波社中のおさらい会(2012. 2)
  2月18日に行われた地唄の会を報告します。戸波先生のページから入れますが、次をクリックしていただいてもご覧になれます。
第4回お弾き初め会



市民邦楽会で「くさまくら」を演奏しました。(2011.9)
 下にお知らせしました京都会館第2ホールで開かれた市民邦楽会に出演させて貰いました。一番右の黒紋付が私です。

市民邦楽会に出演させて貰います(2011.7)
 今年平成23年度の市民邦楽会が9月11日(日)京都会館第2ホールで行われます。9番目の花洛会「くさまくら」に戸波社中の1人として出してもらうことになり、今一生懸命練習を繰り返しています。「くさまくら」は万葉集にある有馬皇子の「家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」ともう一つの和歌に中澤真佐先生が曲をつけたものです。

戸波社中のおさらい会(2011. 6)
今年の春に行われた地唄の会を報告します。戸波先生のページから入れますが、次をクリックしていただいても見ていただけます。
第3回お弾き初め会

戸波社中のおさらい会(2010.12)
今年の春と秋に行われた地唄の会を報告します。戸波先生のページから入れますが、次をクリックしていただいても見ていただけます。
第1回お弾き初め会第2回ゆかた会

オッシロスコープを楽しんでいます(2010.12)
音の波形などを目で見えるように表示するオッシロスコープを手に入れて、いろいろ楽しんでいます。左は三味線の二の糸の波形です。

ヴァン・ブラッセル神父様の想い出(2010.9)
 カトリック新聞で、神父様がなくなられた記事を読み、いろいろなことを想い出しました。

偽証してはいけません(2010.9)
 ギリシャ語でイエス・キリストはどう言っているのか少し調べてみました。
 やはり日常生活の軽い嘘を禁じるのではなく、重い「偽証」を禁じているようです。

うそをついてはいけません(2010.8)
 カントの「道徳形而上学原論」を読んでいて「君はうそをつくべきではありませんというのはどんな人でも守らなければならないことです」という言葉に出会いました。イエスの教えの中に「うそをついてはいけません」というのがあったかなと、考えてみました。

まあるい虹を見ました(2010.8)
 猛暑日の夕方、家の前で水を撒いていましたら、虹が立つのが見えました。それもぐるっとまあるい円になっていました。

昔のSF小説は面白い(2010.7)
 「はやぶさ」の活躍で、糸川博士が何も知らない世間から嘲笑されながらペンシル型ロケットで実験を繰り返していたころSFマガジンが創刊されたことを思い出して読みたいと思ったら幸いその復刻版を手に入れました。

芸術の完成と科学の完成(2010.7)
 ノーベル賞のワインバーグ博士の「究極理論への夢」を読んでいて、彼がラファエロの「聖母子」が完成されたものであると相対性理論の完成度と比較していたのを非常に興味をもって読んだ。

くもの恩返し(2010.6)
 若鮎会に行く途中、嵐電の車内で小さいくもに出会いました。渡月橋の下手でいただいた鮎の塩焼きと缶ビールは最高の味でした。そのあと上手の茶店で冷酒とおでんをいただきましたが、木陰ではあったのですが強い日差しの中でした。帰りの電車で右手が少ししびれて呂律も怪しくなり、これはときどき感じる脳梗塞の前兆かと少し心配になりました。

ツイッターを始めました(2010.5)
 「電子民主主義の未来」という言葉を、佐々木俊尚著「マスコミは、もはや政治を語れない」で知り、ツイッターについて強い興味を持ち、どんなものか知るために早速ツイッターを始めました。まだビギナーですが、なかなかのものだと思っています。ユーザー名は、henjineerです。以前から田中耕一氏の言葉に共感してヘンジニアを自称していますが、gはすでにどなたかに使われていたので、jにしました。この方が言いやすくなんとなく気に入っています。

する方がいいか、しない方がいいか(2010.4)
 イエス・キリストは「自分がして欲しいと思うことを人にしなさい」と言われています。孔子は「自分がして欲しくないことを人にするな」と言われています。ユダヤ教の教えの中に、孔子に近いものがあるのを見つけました。

イザヤ書53章(2010.4)
 内田樹氏の「日本辺境論」に触発され、「私家版・ユダヤ文化論」に、そしてレヴィナスの「困難な自由」に至りました。そして旧約聖書のイザヤ書53章のすごさがようやく分ってきて、今なんとか暗記しようと四苦八苦しています。

子どもの時の傷(2010.3)
 左手薬指に子どものとき怪我をした傷跡が残っています。これまで60年以上全く気にしたことはありませんでしたが、最近三味線を演奏するときにこの傷が痛んできて、子どもの頃を思い出しました。

アインシュタインの十字架(2010.3)
 相対性理論によって、大きい重力の銀河はその横を通る光りを内側に曲げるのでまるでレンズのような役割を果たします。これによって銀河の向こうにあってちょうど銀河の陰に隠れている遠くの明るい星がゆがんで蜃気楼のように虚像を作って4つの星が見え、まるで十字架のように見えることがあります。これがアインシュタインの十字架と呼ばれるもので「アインシュタインの望遠鏡」という本で知りました。

処女の泉(2010.3)
 NHK衛星第2で放映予定のベイルマン「処女の泉」は、私がちょうど50年前に就職のため京都に来たとき見た映画で、とても楽しみにしていましたが、残念ながら放映は中止になりました。4月以降にいつか放映されるのではないかと期待しています。

十戒について(2010.3)
 先日放映されたチャールストン・ヘストンがモーゼを演じた「十戒」を懐かしく見て、かつて「十戒」について感じたことがあるのを思い出しました。偶像崇拝が入っていないことに疑問を感じたことです。

千人隊長(2010.2)
 ヨハネ福音書18章12節にゲッセマネの園で千人隊長が一隊の兵士を連れてイエスを逮捕します。シーザーのガリア戦記に出てくるローマ軍団編成と合わせて考えを巡らせてみました。

わらべ唄(2010.1)
 年の初めに、京都文化博物館の沙羅書芸教室書芸展に知人の書道家が出展しているので見に行きましたら、子どものころを思い出すわらべ唄が書かれていました。

ガリア戦記は面白い(2010.1)
 ジュリアス・シーザーが、現在のフランス、スイス、ベルギーと、オランダとドイツのライン川の西、すなわち東はライン川、西はピレネー山脈の間の当時「ガリア」と呼ばれた広い地域をローマ軍団を率いて戦った記録が「ガリア戦記」ですが、改めて全文を読んで、とても楽しみました。

新型インフルエンザ体験記(2010.1)
 古希を超えた老人にはやって来ないと思っていた流行病にかかってしまいました。高熱でうなっていた時もありましたが、それが少し下がると寝床の中で携帯を片手で操作しながら雑文をブログに送りました。今はようやくパソコンの前に座る元気が出たので、発熱データをグラフにして見たり、ブログをこのページに取り込んだりしています。

宗教と宇宙論(2009.12)
 いろいろな宗教が、宇宙の始まり、地球の始まり、人間の始まりを説明していますが、私は、現代の科学技術の発展を誰も想像できなかった時代に、霊感を得たと信じる宗教創始者とその周辺にいる洞察力と想像力の豊かな人たちが考えた聖典の中で記述されている宇宙の創造、物質の成り立ちなど現代では自然科学の領域である分野について、これを神学的なこじつけにより正当化しようとする宗教的説明はもはや断念して、宗教と科学は矛盾しない範囲でお互いの分野を確かめる時代に来ているのではないかと考えはじめています。ダライラマ14世の言葉を読んで、特に強く感じました。

「わたしが王だとは、あなたが言っていることです」(2009.12)
 今年の11月22日の「王であるキリスト」主日に読まれたヨハネ福音書の中で、ローマ総督ピラトの尋問で「おまえは王なのか」と尋ねられたときのイエスの言葉です。この言葉は、私は「それはあなたが言っているだけですよ」と、否定的に受取りますが、どうやら違うらしい、すっきりしません。そこで、手元とウエブの聖書(日本語、英語、ギリシャ語)でいろいろ調べてみました。

東海道のアルバム(2009.11)
 東海道を歩いていろいろな観光スポットを通り過ぎましたが、ともかくひたすら歩くことが目的で、立ち寄ったりすることはほとんどしませんでした。それでも、今回数点、印象に残る場所だけはデジカメに残しました。15年前の写真はどこに行ったかもう分りませんが、日本橋、江ノ島、浜名湖辺りは目の前に浮かんでくるようです。
 右の写真は、ゴールの小田原駅から新幹線で京都に帰る途中に新幹線の中から写した富士山です。

東海道を歩きました(2009.11)
 11月4日、芦ノ湖から小田原駅まで歩いて、東京から小田原までは15年前に先に歩いていますので、京都三条大橋から東京日本橋までの東海道を歩き通すことが出来ました。
 ほぼ国道1号線に沿いましたが、鈴鹿越えではなく、関が原を通りました。全長は530キロくらいになります

私のブログは、「気ままな散策」という文字どおり気が向くときに携帯で打ち込んで楽しんでいますが、このページからも見るために、上の「ブログ」で読めるように少しずつ進めています。(2009.11)

編曲八千代獅子の合奏(2009.9)
 9月27日、大阪メルパルクホールでの演奏に出演しました。

神の愛は場【フィールド】(2009.8)
 ヨハネ福音書の「わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」という言葉は、私の「愛」という言葉のイメージから外れていて、分かりにくいものでした。そこで司祭に尋ねたら、「あなたは技術者だから、愛は重力場とか電磁場のような場【フィールド】と考えたらどうですか、と言われ、「愛の場にとどまりなさ」で分かったような気がしました。

「失われた時を求めて」を読み終えました(2009.8)
 今年の4月から8月まで、丸4か月かかりましたが、鈴木道彦訳の全13巻を読み終えました。「私の本の読者は私の読者ではなく、自分自身のことを読む読者である」という言葉が、この本を読み終えた私に、実感を与えてくれました。右の絵は、私が一番気に入った挿し絵です。

編曲八千代獅子を合奏(2009.8)
 都山流尺八の会で演奏します。戸波社中から、戸波有香子先生の胡弓、塚本朋子先生の筝と私の三絃です。この曲は、古曲の八千代獅子を宮城道雄が編作曲したもので、尺八、笛、鼓、胡弓、第一筝、第二筝、十七絃、三絃の大合奏です。三絃は5人いるので多少気分が楽ですが、皆さんに迷惑をかけないように一生懸命練習を繰り返しています。
 9月27日(日)大阪メルパルクホールで11時開演の都山流尺八楽会第41回定期演奏会の5番目の演奏です。戸波先生のページからも入ることができますが、タイトルはその案内です。

ダイヤモンドリング(2009.7)
 2009年7月22日の皆既日食で一番印象的であったのは、多くの人と同じく、ダイヤモンドリングでした。私は、40年前に太陽が地球に隠れて出来るダイヤモンドリングの写真(下の右)を持っています。下の左が今回のものをテレビ画面から写したものです。

荒野の決闘の台詞の続き(2009.7)

 図書館から3種の翻訳の本とカセットブックを借りて、独白の続きを見ました。そして秀逸な字幕の翻訳の続きをつたない私の言葉で継ぎ足しました。

ハムレット(2009.7)
 NHK衛星で「荒野の決闘」が放映されました。この中で、「生きるか、死ぬか、それが問題だ」という台詞を旅の名役者が演じました。映画も懐かしかったのですが、今回初めてその次の詞を知り、強い印象に残りました。

東海道に歩いて挑戦(2009.7)
 10数年前に京都から日本橋まで歩き通す挑戦を思い立ってしばらく間があきましたが、まだ浜松から小田原間が残っています。浜松で高校のクラス会に集まったことで思い出して、古希を過ぎて残りを挑戦することにしました。浜松から掛川まで30キロを歩いてきました。次は掛川から藤枝まで30キロです。

「失われた時を求めて」ようやく半ば(2009.6)
 鈴木道彦訳集英社刊の7巻を読み始めました。全部で13巻ですから、ようやく半分まで来ました。最近この長編小説の楽しさが分かってきました。各巻ごとに心に残った文章をメモしていますが、読み進めるほどに増えてきています。

戸波先生の第三回柳川三味線による地歌の会(2009.7.18開催)

プルーストと近代科学技術(2009.6)
 「失われた時を求めて」を読み進めていると、20世紀初頭に現在私たちが満喫している科学技術のはしりとも言える実用化製品、その理論などがふんだんに出てきて興味深い。プルーストの多才ぶりを示すということだけでなく、フランスの上流社会が舞台とはいえ、新しい発明、発見がどんどん企業化、製品化により日常生活に入り込んでいる様子がうかがえる。汽車もよく使われていた(右はスチーブンソンが発明した機関車の模型)

久しぶりの秋芳洞(2009.5)
 30年振りくらいに秋芳洞に入りました。一番奥のマリア観音まで行って引き返し、1時間半、ゆっくり楽しむことが出来ました。

オデットのイメージ 2(2009.5)
 スワンの恋人オデットのイメージについて、先にシスチナ礼拝堂のこの絵ではないかと、推測しましたが、その推測が正しかったことが確認できました。

アンモナイト(2009.5)
 孫が連休の旅行で貰ったと、アンモナイト化石を見せてくれたので少し調べてみたらなかなか面白い。小学2年の孫にはまだまだ難しい話で、これを理解するようになるまでわたしが長寿を保つのも難しそうである。 

東京の教会・復刻(2009.5)
 「失われた時を求めて」に、リストの「小鳥に説教する聖フランチェスコ」が出てきて、それと知らずに初めて聴いた時の強い印象のことを思い出して、1991年、東京で単身生活をしていたときの24回にわたるカトリック教会訪問記事を整理して掲載しました。カットは、下井草教会のスケッチです。

スワンの恋人オデットのイメージ(2009.5)
 プルーストが面白くなってきました。その豊かな表現はまるで私の脳の中の動きをひとつ残らず描いているような錯覚すら覚えます。

「失われた時を求めて」を読み始めました(2009.4)
 ようやく念願が叶い始めました。今回は完読したいと思っています。

NGOフランシスカンズ関西(2009.4)
 1999年から環境問題を中心に活動していましたNGOフランシスカンズ・インターナショナルの関西グループを解散することにしました。

読書三昧(2009.4)
 2008.9に退職して半年、60数冊の本を読むことが出来ました。近くの京都市右京中央図書館がとても便利です。

このホームページのちょっとした改造をしました(2009.3)
右端をスクロールしないと見られなかったことが長年の課題でしたが、みんな画面に入るようにしました。テーブル構造なので、巾を100パーセントにすればいいと分かっていましたが、なかなか思うようにはいきませんでした。これからまだ少し手直するつもりです。

家なき子レミの歩いたフランス(2009.2.23)
 2006年5月、巡礼旅行でフランスのトゥールーズに立ち寄ってからずっと、家なき子レミの歩いたフランスをせめて地図上でたどって見たいと夢見ていました。今それにようやくとりかかることが出来ました。今まで「家なき子」のような児童文学をいい大人が気に入っているというのは恥ずかしかったのですが、この年になって気にならなくなりました。
 この旅行はまだ途中ですが少しずつ歩き続けます。この旅が終わったら、プルーストの「失われた時を求めて」は以前に井上究一郎訳で5,6巻を飛ばして7巻まで読んでいて通読できていないので、もう一度最初から今度は鈴木道彦訳で読み通して見ようと思っています。
 家なき子はようやく終点のレマン湖ほとりヴヴェまでたどり着きました(2009.3.14)。

 日本二十六聖人物語2 ルドビコ茨木 天使の詩(2009.2.1)
 日本26聖人殉教者記念ミサが、カトリック西陣教会で2月1日(日)に大塚司教司式で行われましたが、ミサに先立ち、昨年に続いて聖劇が上演されました。
 テーマは12歳の少年ルドビコ茨木でした。

松本秀友神父とマルセルのこと(2009.1.12)
  2008年12月に急逝された松本秀友神父は、私に沢山のことを残してくださいました。特にガブリエル・マルセルについては神父様が卒業論文のテーマとされ、その内容を見せていただきましたので、マルセルに強い関心を持つことになりました。


 寿三の会筝曲地唄演奏会(2008.10.26)
  今年は豊中市伝統芸能館で行われました。梨木神社で演奏を奉納した「笛の音」と「ままの川」を戸波社中が披露しましたので、見てください。

 京都の大殉教 炎の十字架(2008.10.7)
  2008年7月21日(祝)京都市内の大谷ホールで、カトリック信者他有志の人々によって、2008年秋、長崎でカトリックの福者に列せられる京都の大殉教の52名の殉教者の聖劇が制作され、上演されました。その内容を紹介します。上のタイトルをクリックしてください。

梨木神社奉納演奏(2008.9.21)
 今年は戸波社中総勢7名の下の方々「笛の音」と「ままの川」を奉納しました。朝から強い雨で心配しましたが、演奏時間になると日も差してきて、大勢の参拝客に聞いていただきました。

今年の地唄の演奏(2008.9.6)
 楽しみにしていた今年の私の地唄の演奏が決まりました。
例年の梨木神社の萩祭り、9月21日(日)、戸波社中の総勢7名は、川田真悠子、田中絢子、中山茂絵、安心院茉里、塚本先生、戸波先生と私で「笛の音」と、塚本先生、戸波先生と私で「ままの川」です。
寿三の会ではほぼ同じメンバーで「笛の音」と「ままの川」は、10月26日(日)豊中伝統芸能館の公演です。今一生懸命練習に励んでいます。

雨ニモマケズ(2008.2.20)
 今、「雨にも負けず」という、宮沢賢治のこの詩に入れ込んでいます。なんとか暗誦したいとここ3週間頑張っていますが、年のせいかなかなか憶えられません。私は、「欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている、あらゆることを、自分を勘定に入れず、よく見聞きし分かり、そして忘れず」という言葉がすっかり気に入りました。私には死ぬまでとても出来ませんが。

嵐電天神川駅(2008.1.24)
 京都市営地下鉄が太秦天神川駅まで完成して、待ちかねていた嵐電天神川駅の開業も秒読みとなりました。



トム老人のブログ

 (更新2019.10.30)
 このホームページで、気ままにわたしの気持を書いてきましたが、梅田望夫氏の「ウェブ進化論」を読んで、自分のブログを作りたくなりました。そこで早速制作して公開しました。これまでの私の内容は、日記風のものを沢山含んでいますが、これから、それらのうち少し堅めのものは(といってもほとんどそうなるかも知れませんが)ブログに掲載することにします。ブログを更新したときにはこのページの更新日を変えます。
 このブログの記事は、電車の中から携帯で送ることができます。毎日往復1時間乗っている嵐電内で、これからカトリックとウェブについて考え、記事にまとめることが出来るのは、楽しみです。

神さまはちっちゃな蜂の中に
 「蜂と神さま」は金子みすずの詩の中で私が一番好きなものです。神の無限の力と私の絶対の無と調和していると思えます。
これは私が2000年末にホームページを作った時の最初のイメージです。

最初の決心
 「蜂と神さま」に触発されて、このホームページを制作した最初の決心を思い出しました。最初は結構凝っていて文字や背景に色を付けて今から見ると見やすいとは思えないけど、それでも懐かしいものでした。鹿の絵は私が描いたものです。