road
道
今右足はこの石を踏んでいる。左の一歩はあの石の上に乗せよう。いまは一歩一歩足を進めるのがせいいっぱいである。私が踏みしめているこの石畳は、何百年前に敷かれたのだろうか、大勢の人の足で踏まれ、角がとれて丸くなっている石が多い。しかしところどころの石の角はまだ鋭く、裸足の足に食い込んで痛い。
肩には負っている重い木材の角が食い込んで来てちぎれそうだ。夕べ皆と一緒に食べたきりで今朝何も口にしていない。昨日の夜こずかれ殴られたうえ、むちで酷く打たれた傷跡がうずいている。
足を止めたらすぐに厳しいむちがとんでくる。頭には茨で作った環をぎゅっと押しつけられて、そこから血が流れ落ちて眉毛を越えて目の中に入ってくる。ときどき腕で拭うけれども次から次へ落ちて目に入ってくる。
喉が渇く。水が飲みたい。一口でいい、唇をぬらすだけでいい。先ほど道端の人が水を差し出そうとしたけれどすぐ乱暴に止められ、そのあときつく殴られていて気の毒だった。でもその人がいたことでどんなに私の慰めになったことか。
こうなったのも金持ちや上流階級の人たちに憎まれたからだ。その人たちは神様は正しい行いをすれば誰でも救ってくれると神殿や会堂で教えていた。しかし私は貧しい人や病気の人のあまりにも悲惨な生活を見てきた。金持ちの人はときどきお金を恵んでくれる。その人たちはお金を恵んで嬉しそうである。自分の善行に満足しているのだろう。しかし惨めな人の手を決して取ろうとはしない。
その人たちの苦しみに較べればまだ私の今の痛みはましなのかも知れない。病の苦しみだけではない、悪い行いのせいだと蔑まれ、病がうつるからと近寄ることも許されず、狭い谷に閉じこめられ、十分な食料もなく苦しんでいる人たち。働く職もなく、働く元気もなく、惨めに座って物乞いする人たちのことを見過ごすことは私には出来なかった。
去年は大きい塔が倒れて大勢の人が生き埋めになったことがあった。重い煉瓦の下敷きになり、まだ息があるのに身動きできず救助の手を待っていて結局耐えきれず死んだ人たち。その人たちの苦しみに較べれば、まだこの傷の苦しみはましなのかも知れない。
大勢沿道に詰めかけた人々は私をあざけり笑っている。私を神になり損ねたものだと小石を投げつけてくる。この人たちも家に帰れば上流階級の人や金持ちから軽蔑され虐げられているのに。私は奇跡でその人たちを救うことは出来なかった。ただ一緒に住み、手を握り、ともに苦しみ、ともに泣くことしか出来なかった。それが私の生きる道だと信じてこれまで来た。
左足を出したら次は右足である。もう歩けないほど痛みも大きく力も失せている。しかし今は一歩一歩前に進むしかない。今の苦しみよりもっと大きい、予想もつかない苦しみと死が待っているが、それが私の道である。背中にかついだ大きい十字架はそのためのものなのだ。死刑でも十字架の磔がいちばん苦しい刑罰だと言われている。一歩一歩足を進める度にその苦しみが近づいていく。今の私に出来ることはゴルゴダまで歩くことしかない。
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