プルーストは、文学だけでなく、音楽、絵画、建築、神学、哲学に対する知識、才能、感性が豊かであったことは小説各所に現れているが、驚いたのは科学技術に対しても最新の情報に詳しかったことである。1900年前後は、科学技術の新しい発見・発明が相次いでおり、それが実用化され始めた時期であることは間違いない。
小説の中には、鉄道がすでに敷かれている(左の写真は1820年代にスチーブンソンが作った最初の機関車の模型、右の写真は実際に使われたネルソン機関車。これは1901年英国製で日本に東海道線急行列車用に多数輸入されたものという。プルーストの見た機関車と形は似ているのではないかと思われる)。電灯がある貴族の家に引かれようとしている。電話も普及段階に入っている。自動車が走っている。他にも以下のような記述が見える。飛行機の危険、写真電話、無線電信、大量生産の化学工業、電灯の原理、電話の原理、日食撮影のための乾板、麻酔、レントゲン写真、原子の破壊、録音のできる楽器、流体静力学。それぞれについて一つずつ、原理の発見、発明、製品化というステップの年度とその貢献者については極めて興味があるので、楽しみは尽きなかった。例えばライト兄弟が実験に成功したのは1903年のことに過ぎない。
驚いたのは、「芸術上の天才は、あの非常な高温と同じように作用する―原子の結合を破壊して、これを別な型に応じた正反対の秩序にしたがって集結させる力を持っている高温である―」という一文は、ラザフォードが原子崩壊説を提唱したのがライト兄弟の実験と同年であり、この文がある「花咲く乙女たちのかげに」が刊行されたのは、そのラザフォードが原子核崩壊の実験に成功した同じ年の1919年である。まさか核分裂、核融合によるエネルギーまで洞察していたとは思えない。
ただ一つ面白いと思ったのは、燃素フロジストンについて引用されていたことである。これは燃焼が酸化であることが発見されるまでの間、燃えるということは物質の中に含まれる燃素が他の物質と分離することであるとの仮説があったが、ラヴォアジェが定量実験により燃焼とは物質と酸素が結合することであると説明したのが1777年である。20世紀初めのフランスの上流社会ではまだ燃素が信じられていたのかも知れない。しかしこのことでプルーストの科学技術にたいする見識をいささかも下げるものではないと思う。
私は科学技術の歴史にも非常に興味がある。最初の発明はたとえば電話であればグラハム・ベルであり、飛行機であればライト兄弟、電灯はエジソン、機関車はスチーブンソンなどのイメージがあるが、それが社会的に広く使用されるようになるためには、事業化されて広く社会に広がらなければならない。プルーストの上の記事に触発されて、私は「近代技術実用年表」を作ってみた。いずれまとめてアップ出来ればと楽しみにしている。「失われた時を求めて」は、13巻のうち、まだ5巻を読み終えたに過ぎない。