美祢高の想い出

 私は1957年(昭和32年)に山口県立美祢高等学校を卒業しました。名勝秋吉台の麓にある高校です。
 修学旅行は京阪神でした。そのときの京都の印象があまりにも強かったので、大学を出て就職する会社を選ぶとき、一も二もなく本社が京都にある島津製作所にしました。
 定年退職後10年ほど宗教教団の事務所で働いていましたが、今は年金生活で世界遺産の御室仁和寺の近くでのんびり過ごしています。
 卒業して55年過ぎた今、これまでクラス会は一度も開いていなかったので、修学旅行の想い出の場所である京都でやらないかと呼びかけているところです。みんな自分の体調や介護などでなかなか家から出られないようなので参加者はそう多くないかも分かりませんが、6月に集まるのを楽しみにしています。

 右は校歌と校旗です。校歌はここをクリックしてください。もちろん今でも憶えていて歌えます。故郷自慢の秋吉台が読み込まれています。小学校の校歌にも、中学校の校歌にも秋吉台が入っていました。

美祢高の前身は終戦前に開校した美祢農林学校でした。昭和24年に進学組の普通科ができて美祢高等学校と改称されました。左の写真は私の卒業アルバムにある校舎の全景で、右上に突き出ているのはアルバムにある校歌がはみ出しているものです。右手前の黒い建物に牛や豚などが飼われていました。校内では何かと農業科の勢いが強かったという印象が残っていますが、農林学校から来たためのようです。上の段の右手はできて間もない大きい講堂で、左の建物に教室がありました。普通科A、B、C組、農業科、家庭科の5クラスで、合計1学年で約180名の小さな学校でした。このうち進学コースは普通科B組で44名いました。

右の写真がその44名です。今は亡くなったり、連絡が取れなくなった人がいて、クラス会の案内は34名に出しました。
高校生活の3年間はいろいろ想い出がありますが、それは別にまとめましょう。

修学旅行は京都は清水寺、平安神宮、金閣寺、嵐山でした。今でも京都観光の三大人気スポットがちゃんと入っています。途中二条城の前で集合写真は撮りましたが、中には入らなかったので、せっかくだから徳川幕府の始めと終わりの記念の場所を今回のクラス会で案内しようと考えています。