レヴィナスを読んでいて、ヒレルの言葉に出会いました。「他人からされたくないようなことを他人にしてはならない、これが律法の総てでる、残りは行って学びなさい」(エマニュエル・レヴィナス「困難な自由」から)。
律法というのは、旧約聖書の創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記のトーラーと呼ばれているモーゼ5書に示されているものです。ヒレルは紀元前30年頃のユダヤ教の指導者です。彼はローマ人から「わたしはユダヤ教に改宗したいのですが、私が片足で立っているあいだにトーラーのすべてを教えてください」と尋ねられてこう答えたといいます
これで論語を思い出しました。孔子は子貢に「一言にしてもって終身これを行うべきものありや」と尋ねられ「それ恕か。おのれの欲せざるところは、人に施すなかれ」と答えました。これはイエスのマタイ7章12節「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」と同じ内容ではありますが表現が逆です。私にとってはヒレルと孔子の表現の方が私の身体に合うようで、内容は同じだからカトリック信者ですけど許されるでしょうね。ちょっと消極的ですが押し付けがましくないのがいいです。
2000年前にユダヤ教の指導者が考えていたことと、イエスが考えていたことが逆なのがちょっと驚きでした。