興安丸の想い出
私が育ったのは終戦前の5歳まで今の韓国のソウル(京城)でした。山口県の実家に引き上げてきたのは終戦の2年前でしたから、さいわい混乱はありませんでした。当時、下関とプサン(釜山)の間には関釜連絡船の興安丸と金剛丸が通っていたと聞かされていました。この興安丸の模型が舞鶴引揚記念館の企画展示室にありましたので、その頃のことを思い出しました。戦前の定期客船を引き揚げ者用に多少改修されているかも分かりませんが、外観はほとんど変わっていないだろうと思います。
ソウルにいた時は、4、5歳の頃で、父が勤めていた総督府の大きい建物に連れて行ってもらったことがありました。隣りは小学校で、生徒たちの声がにぎやかに聞こえていました。国旗掲揚台のポールに誰かがいたずらに登っていたのが隣の私の家から見えました。
日本軍のパレードがあり、その中で鉄砲を背中にかついだ自転車部隊があったのが心に残りました。
漢江に遊びに連れて行ってもらったとき、遠くに飛行機が降りてみんながその方に駆けつけて行っていました。多分グライダーだったのではないかと後から思いました。
引揚の前に一度父が私を連れて実家に帰ったことがあります。ソウルからプサンまでは超特急あかつき号で、夜行列車の窓には自分の顔が写っていて、それがなんとなく恐かったものです。興安丸に乗り込んで岸壁を離れる時、灯りの点いた町全体が動いて離れていくことに驚きもしました。