松本秀友神父とマルセルのこと

 2008年12月の末に、64歳の若さで帰天された松本師は、1年ほど前から私の事務所に来て話しておられました。私はカトリックの信仰について考え、迷ってもおりましたので、とても深い話を聞くことが出来ました。

 その年の初めの頃、神父様から「マルセルについて知っていますか」と尋ねられたことがありました。それまで私は哲学者ガブリエル・マルセルの名前は聞いたことがありましたが、その内容は知りませんでした。「私の上智大学の卒業論文のテーマはマルセルなんですよ」と言われ、持ってきて見せて貰いました。
 一度読んで、何度も繰り返して読んで見たくなったので、了解を得て借りていた卒論をスキャナーで読み取ってOCRでデジタルに変換して、私の携帯のサイトにアップロードしました。お陰でその後いつでもどこでも繰り返す読むことが出来ました。

 さらにマルセルの本を一冊読みたくなって、何を読んだらいいですかと尋ねると「存在の神秘」を奨められました。ネットのアマゾンはとても便利です。古書でしたが手に入れて読みました。そのことについて来室されたとき何度も教えてもらうことが出来ました。

 ここでその内容については触れませんが、一つだけ「交わり」について考えたことがあります。

 人間は「交わりがあって初めて自己実現できる」というものです。私は子どものころから本当は1人でいるのが一番好きでしたが、社会人となって多くの人と接する機会がありました。そしていつの間にか人と話すのが楽しみになっていました。しかし、大抵は一般的な世間話で、雑学を披露する程度で、哲学とか神学について話したり聞いたりする機会はほとんどありませんでした。

 フランシスコ在世会に入ってから毎月の集会で福音書の分かち合いをしています。「分かち合い」というのは言葉の響きがいいですし、いろいろなところで行なわれていますが、本音を出し合って共感して、より深く理解するための方法です。その進め方にはいろいろなバリエーションがありますが、分かち合いが苦手という人も結構いるようです。私も以前はその時期がありました。

 この分かち合いを理想的に進めていけば「交わり」になるのではと思いました。その交わりを行なうに当たって妨げるものとして、自意識過剰と気取り屋が卒論に紹介されていました。いわゆる「ジコチュウ」と「エエカッコシ」です。かつて分かち合いが苦手だった時期には、私はこの「ジコチュウ」と「エエカッコシ」だったのかなあと思い当たりました。古希を迎えて、ジコチュウとエエカッコシが無くなったとは思いませんが、分かち合いが嫌いであったころから考えると少しは減ったかなと思います。