三味線のたのしみ

 私は今、地唄の三味線をとても楽しく習っています。地唄の三味線パートです。三味線は4年くらいではまだ人に聴いて貰える代物ではありませんが、嬉しくて添付しました。音質はずいぶん圧縮しているため、あまりよくありませんので、その分、割り引いて聴いて下さい。写真は録音している様子ですが、本当は別な曲です。流れている曲は、4年お稽古して、初めて私の三味線と先生の箏との合奏を録音させて貰ったものです。曲名は「磯千鳥」です。地唄の多くは、ゆっくりした前唄と後唄の間に手事という、楽器の聴かせどころが入ります。今聴いていただいているのは華やかなところで、三曲合奏の場合はこれに尺八が入ります。  お稽古は週に一回、先生宅で個人教授で習っています。もちろん自宅に帰って次のお稽古日までの一週間、練習を繰り返すことが大変で、またそれが楽しみなのです。難しい手どころはなんど繰り返してもなかなか出来なくて、思わず時間が過ぎてしまいます。

 私が三味線を習っているのは、生田流宮城会の先生で、戸波有香子さんです。戸波先生は、NHK邦楽技能者育成会第37期を主席で修了し、ときどきNHK「邦楽のひととき」の放送に出演しています。主に関西を中心に演奏活動をしています。若くて美人の先生ですから、練習にもとても励みになります。

 三味線は戦国時代に沖縄から入ってきた三線(さんしん、蛇皮線とよばれるもの)を改良したものという説と、三線は上方から渡ったものという二説があるようです。上方では盲人が中心に三味線音楽を伝承してきていましたが、19世紀の初め、文化文政の頃、江戸で町人文化が最盛期を迎え、花開いた長唄や浄瑠璃が上方に流入してきたので、それらを総称して「江戸歌」と呼び、もともとの三味線音楽を地唄というようになりました。上方の三味線音楽には箏の手が付けられて合奏するようになり、次第に最初から三味線と箏が同等に合奏されるものが出てきました。従って、地唄はもともとの三味線音楽から、三味線と箏が合奏されるようになってきています。

 私が使っている三味線はわたしの母が使っていたものです。母は貧しい高校教師の父とわずかな田畑を耕して、観光地ではありますが秋吉という田舎の山の中で、戦後の苦しい時代を6人の子供を育てながら、生涯三味線を趣味にしていました。晩年少し余裕が出来て、近所の若い奥さん方に三味線を教えたりしていましたが、身体も衰えてその三味線が弾けなくなって入院する前に、私にくれました。しばらくそのまま置いていたのですが、せっかくだからと近所で教えて貰える先生を探しました。先生は、地唄なら教えてあげるということで習い始めましたが、私にとっては、まさに六十の手習いでした。箏の音は小学校の頃の特別な思い出の音色でしたから、この年になって夢に見たことが実現したのです。その母も昨年秋に亡くなったので、本当の形見になってしまいました。
 

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