失われた時を求めて
去年コロナの感染が広がり始めて外出自粛すると図書館も恐くて行けなくなって、昨年(2020年)3月7日に4冊を借りたのを最後にもうずっと図書館には行かなくなり、その代わりにアマゾンで購入することにしました。
ここ10年は毎年図書館から200冊ほど借りて読んでいたのですが、毎回買うとなるとなかなかそこまではできない。昨年12月末まで購入した本は約50冊、金額で6万円ちょっと、今年の1月から今8月始めまでは約50冊、7万円弱ほどです。
本代は年金生活でかなり負担ですが、それよりも、買った本が手許に残るのがちょっと。今のところ合わせて80冊ほどですから、手許に横積みにしておいていますが、そのうち、下の書庫から古いものは捨ててそこに持って行こうかなと考えています。断捨離という言葉をよく目にしますが、他のものはともかく、一度読んだ本はなかなか捨てるのが難しい。死ぬまで二度と目を通すことはないと分かっていても、それなりの未練があるのです。
1月にある司祭と話をする機会があって、その方は『失われた時を求めて』を読み始めたと言っておられました。それを思い出してこの6月頃、書庫に2回目を読んだ集英社の文庫本があったなあと探してみたら、何と第1巻しか見当たりませんでした。1巻だけ買って2巻から13巻は図書館から借りて読んだようです。とりあえずその1巻を読み始め、面白くなってきたから、アマゾンで2巻以降、最終章の13巻まで購入して、9月のはじめに読み終わりました。前回この本を読んだのは10年ほど前で、その時のメモに30年前に読んだとあったので、私は通読したのはこれまで3回、今回で4回目だと思っていましたが、多分今回で3回目が正解なのでしょう、ただ、30年前に読んだのは井上究一郎訳の筑摩書房のもので、そのときは確か途中の翻訳が出来ずにそれを飛ばして「見いだされし時」が翻訳され、あとになって途中の巻が出版された記憶があります。それで、読み返したり、もう一度読んだりした記憶で2回完読したと思い込んだのかも知れません、じっさいに2回完読したかも知れません、ともかく今は今回が3回目ということにしておきます。
前2回はともかく読み通すことが目的の感じでしたが、今回は、あまりにも多くの人、場所が出てくるので、全体の流れを何とか掴みたいと、前回までのようにこころに残った言葉と並行して、何時、どこで、ということを考え、そのメモも取りながら読み進めました。読み終えた今でも全体がつかめた訳ではないので、もう一回トライしたいと思っています。
今なんとなく分かっているのは、書き手が14歳のころから40歳までの話しかなと感じているところです。そして場所はパリが中心のようですが、子どもの頃のコンブレーと、アルベルチーヌを知ったノルマンディーのバルベックのホテル生活。パリの住まいは最初はサン=テスプリ街に面した、これはマンションというのでしょうか、次いでゲルマント公爵の邸宅の一角にある、アパート、これも今の言葉のイメージでいうとマンション、そしてそこからもう一度パリの別な場所に転宅したような感じです。
楽しいのは、なぜか書き手が少年の頃からみんなに受け入れられ、社交界でも歓迎され、誰からも好意を持たれ、ジルベルト、ゲルマント公爵夫人、アルベルチーヌ、アンドレに愛され、パリ随一の美少女といわれたゲルマント夫人の姪から愛を告白されるという、うらやましい話しです。才能は小説家を目指しているようだがまだ刊行されていないし、家族はブルジョアだが貴族ではなさそうだし、よほどの美青年だったのかなという感じです。
そしてやはり面白かったのはやはり「見出された時」でしたから、これを先にしようかなと思っています。