十戒について

1、はじめに
  カトリックでは信者が守るべき掟として、十戒が与えられています。これはモーゼがイスラエル人を率いてエジプトを出てから3か月後シナイ半島に入ったとき、シナイ山で神様が直接モーゼに語られたと旧約聖書の出エジプト記に記されていることです。
 カトリック信者はこれをカトリック要理として洗礼を受ける前に教わり、また受洗後は祈りの本の中に示されており、大変身近なものです。
 ところが、この十戒の内容を調べてみると大きい疑問が出てきました。ある人から旧約聖書の十戒とはどれですかと尋ねられて、自分で旧約聖書を読んでみて生じてきたことです。そこでこれについて少し調べてみる気になりました。

2、カトリックの十戒
  カトリック中央協議会から最近(2010年1月)出版された「カトリック教会のカテキズム要約」を見ると、神の十戒として次のものが挙げられています。これは数十年前からの「公教要理」、「カトリック要理」の内容と同じものです。
 1、わたしはあなたの主なる神である。わたしのほかに神があってはならない。
 2、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
 3、主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
 4、あなたの父母を敬え。
 5、殺してはならない。
 6、姦淫してはならない。
 7、盗んではならない。
 8、隣人に関して偽証してはならない。
 9、隣人の妻を欲してはならない。
10、隣人の財産を欲してはならない。

3、旧約聖書(新共同訳)
 出エジプト記第20章には次のように記されています。(また申命記第5章にも ほとんど同じ内容が記されています)
 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。隣人に関して偽証してはならない。隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」

4、疑 問
 素直に旧約聖書を読むと「偶像を作ってはならない」というのがあってカトリックの十戒の中になく、カトリックの十戒の中の第九と第十は旧約聖書の中では一つの文のように思えます。

(1)  井上洋治神父の書かれた「私の中のキリスト」(主婦の友社)には「モーゼの十戒」として次のように紹介されています。
 1、あなたには、わたしをおいて、ほかに神があってはならない。
 2、あなたはいかなる像も造ってはならない。
 3、あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
 4、安息日を心に留め、これを聖別せよ。
 5、あなたの父母を敬え。
 6、殺してはならない。
 7、姦淫してはならない。
 8、盗んではならない。
 9、隣人に関して、偽証してはならない。
10、隣人の家を欲してはならない。

(2)  ひろ さちや著 「仏教とキリスト教 どう違うか50のQ&A」(新潮選書)にはモーゼの十戒について次のように説明されています。
 1、あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
 2、あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。
 3、あなたはあなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
 4、安息日を覚えて、これを聖とせよ。
 5、あなたの父と母を敬え。
 6、あなたは殺してはならない。
 7、あなたは姦淫してはならない。
 8、あなたは盗んではならない。
 9、あなたは隣人について、偽証してはならない。
10 、あなたは隣人の家をむさぼってはならない。

(3)  映画「十戒」 
 1958年公開されたデミル監督のスペクタル史劇で、チャールストン・ヘストンがモーゼを演じた映画の中で、神が岩盤に十戒を彫りつけるシーンがあります。上の写真はテレビからこの画面を写真に撮ったものです。左にはモーゼがいます。神の力は光となって、モーゼのすぐ右の岩盤に十戒を彫りつけています。このときの十戒の内容は上記の(1) と(2) と同じです。

  この3例は旧約聖書を素直に読んだとき受けるものと同じです。それでは カトリックの伝統的な十戒はなぜ変ってきたのでしょうか。

5、カトリックの解説
  手元の「旧約新約聖書」(ドン・ボスコ社)の出エジプト記第20章の解説に次のようにありました。
 「十戒の区分は3つあり、第1の区分は古代のヘブライ人、ギリシャ教会の数名の教父たち、多くのプロテスタントなどであり(これが4項に例証として挙げたものである)、第2の区分は聖アウグスティヌス以後、ローマ・カトリック教会、ルーテル教会であり(2項で挙げたものである)、第3の区分は現代のヘブライ人である(第1と類似している)」。

 また同じく偶像崇拝について次のようにあります。
 「彫刻した像の禁令の理由は、偶像崇拝の危険をさけることにある。とくに、近東では、像は実物と混同して、像自体を神だと考えていたので、まことの神をあらわす像も、そのものとして正しいものであるにしても、環境上、偶像崇拝になりがちだった。そのために、すべての像を禁ずることにしてあった。しかし、この理由がなくなった新約時代にも同じ原則をあてはめようとするのは、新約時代の精神を理解しない証拠であり、時代おくれのしるしである」

6、私の思い
 うーん、偶像崇拝の禁止について十戒から外したのはちょっと苦しいですね。ですからアウグスティヌス以降現代まで教会堂の中には十字架、キリスト像、マリア像、ヨゼフ像などがあふれています。これを気に入っている人は多いでしょうが、私の思いにはどうも合いません。

 3000年前に比べてこれほど進んだ現代文明の中で、新しい十戒というものがあってもいいのではないかとふと思いつきました。「盗むな」と「隣人の財産を欲するな」、あるいは「姦淫してはならない」と「隣人の妻を欲するな」というような重複感のあるものを整理して例えば「人権にたいする罪」とか「地球に対する罪」とかを入れるなどです。

(十戒の疑問に対するこの文の構想は、私が東京に単身赴任していた25年ほど前のことです。最近放映された「十戒」の映画に触発されて読み直し、「カテキズム要約」など取り込んだり少し見直しました。当時このことを著名な聖書学者のフランス人の神父に話をしたところ、「知らなかった」と少し意外な様子を示されたことが強く印象に残っています)