いとこ会を開きました

2012年11月7日、湯田温泉の松政ホテルに元気な姿で集い語り明かしました。

 7日の夕方早めにホテルに来た人は、近くの中原中也記念館に行きました。70歳以上は無料というので、料金を払ったのは若い3人だけでした。その3人はなぜかこの写真の中には入っていません。
 当時の文壇の中ではかなり名の知られた詩人のはずですが、なぜか私が中学、高校のとき、この郷土の詩人の名を聞いたことがありませんでした。先生自身も知らなかったのかなあ。中也の両親がカトリックであったことを知りました。

 いとこ会の宴は、湯田温泉にゆっくり浸ってから始まりました。英男ちゃんから教えて貰って気が付きましたが、この中に傘寿1名、喜寿2名、古希1名いました。お互いに元気な様子だったのは何よりでした。一人浴衣姿でないのは、宿泊せずに宴会が終わってから帰宅しました。美祢高がなくなるという話から、ほとんどが美祢高卒なので、何十年ぶりの校歌を歌いました。

 翌日は、瑠璃光寺の国宝五重の塔の後、隣接する香山公園を少し散策しました。うぐいす張りの石畳で手を叩いたり足を踏み鳴らしたりしましたが、私も、うぐいす張り廊下では知恩院とか二条城、鳴き竜では日光東照宮とか京都にも何か所かよく知られている場所に行ったことがありますが、石畳はここくらいかな。そしてそこを少し下がったところに、幕末に仇敵の薩摩と長州が密談した枕流亭という建物に入りました。坂本龍馬の口利きで、桂小五郎と西郷隆盛が仲直りの話をしたところです。私のように京都に住む長州人としては蛤御門の変は忘れられない出来事ですが、その後の四境戦争で毛利藩が勝利を得たのも陰で薩摩の援助があったからとはいえ恨み骨髄の相手と維新を達成するために手を握った長州男児の心意気はいつ思い出しても胸が熱くなります。この枕流亭は私は2度目ですがご存じでしたか。

 次いで菜香亭に行きました。ここは維新の元勲たちがひいきにしていた料亭で、戦後の岸、佐藤総理もなじみにしていて竹下登、田中角栄なども立ち寄ったということでその人たちの扁額が掲げられていました。中でも大広間正面にあった三条実美(さねとみ)のものが目に付きました。この三条実美は蛤御門の変で京都を追われて流れてきた七卿落ちのリーダー格の倒幕派の公家で、明治政府では要職を務めていますが、父親の三条実萬(さねみつ)とともに梨の木神社に祭られています。   
梨の木神社は京都御所の東隣にある神社ですが、ちょっと話題があります。

 右の写真はこの梨の木神社で5年ほど前、私の地唄の先生と奉納演奏したときのものです。毎年9月に境内で見頃になる萩の花に合わせて、萩まつりが行われ、市民俳句大会とか、抹茶席などの催しの中で舞楽、狂言、上方舞、日舞、尺八などが奉納演奏されます。この時は私が三絃本手、師匠が三絃替手で「たぬき」を演奏しました。

 ついでにもう一つお話しますと、いとこ会の1週間後、妙法院の特別公開があり行って来ました。このお寺は天台三門跡と並び称せられてきた名門寺院であり、方広寺や三十三間堂を管理下に置いています。家内のいとこのご主人が長年ここの執事と池坊短大学長をつとめた人で、少し前にお話を聞きに行った縁で拝観したのですが、奇しくも梨の木神社のところで記した七卿が京都を落ちるとき、この妙法院に集まり、長州藩の兵に護られて京都を脱出したというゆかりのお寺でした。左が境内にある七卿の祈念碑です。

 話がそれて忘れるところでした。みんなでザビエル・カトリック教会に立ち寄りました。

 いろいろ話しを続けるときりがないので、このあたりで止めます。最後まで読んでいただいてありがとう。こういうことを書き連ねるのが楽しみで幹事をやってきたのかも分かりませんね。私が京都から呼びかけるいとこ会はもうおしまいにするので、今回が「今生の別れですから」と言ったら、美しい眉をひそめられたりしましたが、まあ元気にしていれば何処かでまた逢えますよね。