最近ベストセラーとなったことがある内田樹氏の「日本辺境論」を読んだのがきっかけでした。日本の政治家で「将来の日本」のイメージを描き出す人がいないことを不思議に思っていたのですが、日本は島国であり、古来世界一の立場を目指すのではなく常に別に理想とする国があって、それを目指すことが日本人のアイデンティティーだという論だと理解し、何となく分ったような気がしました。
それよりも内田氏は専門がフランス現代思想でありユダヤ文化について詳しいことを知り、「私家版・ユダヤ文化論」を読む気になりました。もちろん私はカトリックであり、ユダヤ文化はキリスト教の思想的ベースというイメージはありましたが、以前は、旧約聖書は迷信あるいは神話であると割り切っていました。何度も繰り返し読んだだけでまじめに受け止めたことはありませんでした。わたしはイエス・キリストの信者ではあるがユダヤ教の信者ではないと旧約聖書に反発すら感じていたものです。しかし、内田氏のユダヤ文化論を読んで、非常に興味が湧いてきました。
ユダヤ人は民族として虐げられた歴史から「過ちを犯したわけでもないのに受け入れる」、「常に他者に対して責務を負っている」という思考の型を継承し、そこからたとえば科学分野のノーベル賞受賞者統計を見ても圧倒的な比率を得るにいたったというのです。そこで内田氏が例として示されている「イザヤ書53章」を読んで見る気になりました。この個所は復活祭の前々日、イエス・キリストが十字架で処刑された日、カトリックでは「聖金曜日・主の受難」という祭儀の中で読まれるものです。読んでいるうちに、ユダヤ民族のすごさに身震いしました。
内田氏のユダヤ文化論の中で紹介されていた、現代のフランス思想界を代表する哲学者エマニュエル・レヴィナス氏の著作を読みたくなり、「困難な自由」をかなり難しいですが読み進めています。
イザヤ書53章はぜひ暗記したいと思い、これも今チャレンジしているところです。1週間になりますが、まだ無理です。
イザヤ書53章
01 わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。 主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
02
乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように この人は主の前に育った。 見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
03
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。 彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
04
彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。
05
彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。 彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
06
わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。 そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。
07
苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。 屠り場に引かれる小羊のように 毛を切る者の前に物を言わない羊のように 彼は口を開かなかった。
08
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。 彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり 命ある者の地から断たれたことを。
09
彼は不法を働かず その口に偽りもなかったのに その墓は神に逆らう者と共にされ 富める者と共に葬られた。
10
病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ 彼は自らを償いの献げ物とした。 彼は、子孫が末永く続くのを見る。 主の望まれることは 彼の手によって成し遂げられる。
11
彼は自らの苦しみの実りを見 それを知って満足する。 わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために 彼らの罪を自ら負った。
12
それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし 彼は戦利品としておびただしい人を受ける。 彼が自らをなげうち、死んで 罪人のひとりに数えられたからだ。 多くの人の過ちを担い 背いた者のために執り成しをしたのは この人であった。