卒業以来55年目に13名が集いました。このお便りは参加した方だけでなく全員にお送りします。どうしても参加したかったが事情により来られなかった方には少し罪な報告になるかも知れませんが、想い出のよすがとしていただければと思います。
右の写真で誰が誰だか分かりますか。分からなくてイライラするのは老人に良くないですから、下に記します。(個人名は割愛します)
それでは京都の集まりの様子を報告しましょう。
京都駅に13名全員集まりました。私が高く掲げているタイガースのTの旗(実はこのマークは私が所属しているカトリックの修道会のシンボルマークのTです。熱烈な巨人ファンがこの旗についていくのはいやじゃと言ったので、白状しました)にみんな寄ってきて、私は誰々ですと名乗ってくれました。そうしなければ、55年ぶりに合って分からなかったでしょうね。
家康の征夷大将軍宣下の祝賀の儀から慶喜の大政奉還まで徳川幕府の始まりと終りの地である二条城に行きました。西から雨が追いかけてくる中で、幸いときどきぱらつく程度のお湿りでしたので、一番心配した京都の暑さによる熱中症は避けられました。国宝の二の丸御殿に入り、名高い二の丸庭園を通って天守閣跡の石垣に上り、洛中洛外図の絵で当時の様子を偲びました。
1日目は地下鉄を使いました。二条城からホテル前の駅の一つ手前で下りて、御池通り、河原町通り、三条通りを通って私のカトリックの本山の教会前、大村益次郎遭難記念碑、池田屋跡の石碑、三条大橋、高山彦九郎銅像横を通って4時にホテルに入りました。
一風呂浴びて疲れを落としてからクラス会の宴会を始めました。
今回のクラス会の発端となった話を東京のミネミネ会の世話役の藤井君が紹介して乾杯でまず舌を湿らせてからおもむろに配ったのが美祢高校歌の歌詞です。こんなんあったかなあ、見たことないなあという声があるなかで歌い出したらもうみんな大きい声を張り上げて4番までを歌いました。最後までこんなんがあったのは知らなかったという猛者もいました。歌詞の最後は「新日本を建てむかな」でしたが、俺たち新日本を建てたかなあ、という声。
順に、高校時代の想い出と卒業から今までの話をしてなかなか話が終わりませんでした。1人ひとりの話は割愛しますが、あんな先生がいたなあ、え、そんな先生いたかなあとか、ひどく怒られた話、お菊と播磨劇で任侠の役を楽しんでやったら社会の先生に叱られたとか、あの先生は誰々と結婚したとかね。当時は関心がなかったのですが、東大卒とか京大卒とか、また社会的にかなり権威のある先生もおられたことを知り、さすがだとうなずくこともありました。こういう機会がないとなかなか思い出さない話ばかりでした。
あのひとは可愛かったとか、スマートだったとか、マドンナに会いたかったなあとか、部活で上級生をやっつけたり、地域でいい成績を残したりと活躍した話も弾みました。通学で毎日遠くから自転車で通った人もいましたし、下宿して美祢高に通った人もいたようでした。
当時のクラスの人たちの話も多く出ましたが、誰々はどんな仕事をしてとか、どんな縁があったとか。私は卒業以来山口を離れているので知らない話がほとんどでしたが、あの人がねえという感動もたくさんありました。教師、警察官、自衛官、公務員など、また企業に勤めたり自分で事業を興したり、さまざまな生活が語られました。
事故にあったり大病にあったり仕事の上の苦労、そして今は身内の介護などの多くの苦しみを表に出さず穏やかな口ぶりで淡々と話す内容に、心を動かされたものでした。
そして美祢高の現在に話が及ぶと、その方に詳しい人たちから今年創立70年を迎える年に入学生が17人であり美祢高最後の入学生になったとか、青嶺高校と統合されるという話が紹介され、さびしいなあ、せめて美祢青嶺高校として美祢の文字を残してくれないかなあという声が出ました。現在の姿の美祢高の航空写真をごらんいただきましょう。中央下辺りが昔の正門、中央の白いところがグランド、その左上に昔木造であった校舎が3階建ての鉄筋コンクリートになっています。奥の白いグランドには夜間照明設備も見えます。(左手中ほどの青い屋根は高校ではありません)
話は宴会を終えてから大部屋に集まり佐藤君が持ってきてくれた上級のウイスキーを水割りで飲みながら、なお続きました。高校時代からライバルだったかどうか、仲の良い二人の軽妙なやり取りが場を盛り上げたり、エイジシューターがいて、ゴルフ談義とにわかレッスンが始まったり、日本の名山を踏破した仲間との山の話、恩師のその後のご活躍の様子などで話は尽きませんでしたがさすがに年のせいで語り明かす気力は残っていなくて11時まで持たずに照明を消しました。
ホテルは修学旅行で泊まった「三条日昇館」の筋向かいで、修学旅行生向きであり部屋はほとんどセルフサービスでしたが、私のかみさんの親友がこの旅館の経営者の縁者にあたり何かサービスをと言われ、特別待遇は断ったのですが料理について配慮してくれたようで、京風の料理でこれだけのものはなかなかと舌の肥えた何人かがとても喜んでくれました。
翌日は、昨年親鸞の750年遠忌を迎えた西本願寺の役員をしている阿武君が世話をしてくれて、一般では入ることのできないいずれも国宝の黒書院、白書院、能舞台、飛雲閣、唐門を寺の若い方に案内と丁寧な説明をいただきました。これだけの場所にはなかなか入れません。私でもここに入るのは3回目くらいなものです。
次にバスを乗り継いで竜安寺の石庭に行きました。本堂を入って石庭を前にして、ちらっと眺めて「ああ、分かった」と言う人、前に座り込んで何やら考え込んでいる様子の人、庭のつくばい「吾唯足知」に感じ入っている人などさまざまでした。
少し昼を回りましたので、軽い食事をとって嵐電に乗って北野天満宮へ行きました。学問の神様である菅原道真を祭るこの天神さんは毎年多くの受験生が合格祈願に来ます。もうこれ以上頭が良くならなくてもいいよと言う人もいましたが、国宝の拝殿にお参りしました。そこを終えて京都駅に向かいました。
2日間4個所引き回して私が今少し気になっているのは、疲れすぎなかったかということです。当初2日目は70を越えた老人のことだからホテルからバスで直接行ける竜安寺の一個所だけにしておこうと考えていましたが、思いがけなく西本願寺を見せて貰うことができて、竜安寺で昼を回ったのに、新幹線の指定までまだ時間があるからどこか行くところはないかと声が出て、一番近い天神さんまで歩いて貰いました。2日目は最初から3個所計画していれば、小型バスかタクシーを手配しておくことができたのに、みんながみんな丈夫な足でもなかったのではないかと気になりました。それでもともかく京都駅で解散するまでみんな元気でした。私自身は東京の日本橋から京都の三条大橋まで東海道を歩き通したほど足には自信がありましたが、それでも2,3日疲れが残りました。
今回予想外の大勢の13人の参加で、みなさん世話役の私に言葉をかけてねぎらっていただきました。私はこのような集まりの世話役が楽しみで、ここ6年ほどの間に秋吉小学校のクラス会、いとこ会、そして今回の高校のクラス会、再来年には大学のクラス会といずれも京都での開催の希望が多く、よし私がやろうと手を挙げて引き受けています(老化防止に効果があるとかないとか)。何よりもみんなとても楽しんでいただいた様子なので、十分満足しています。
また会費について足りたのかと声をかけていただきましたが、どうぞご心配なく。市内の移動はどこまで行っても220円の市バスと200円の嵐電を使いました。幸いほとんどが座れて移動できたようなので、安くつきました。
私は皆さんの話を引き出す役だったので自分のことはあまり話していない(それにしてはずいぶんしゃべっていたではないかとの声が聞こえそうですが)私のことを少し話させてください。今パソコンで打っていますがこれが私の趣味の一つ、私はデスク回りにある3台のパソコンを使い分けて駄文を打つことだけでなくインターネットのホームページを作ったり、メールしたり、ツイッターで毎日のようにつぶやいています。また図書館が近くにあるのでそこから借りて本を読むのが楽しみで哲学関係が一番面白い。1年に150冊くらい読んでいます。それと三味線。私の話をみんな信用してくれなかったから写真を出します。右の写真は昨年秋に1000人は入る京都会館での演奏の姿です。このときは箏、三味線、胡弓合わせて10名の合奏で、私以外はみんな晴れやかな和服姿の美人の女性たちでしたから、こんな楽しみは止められません。
私のことを書くと止まりません。これを楽しみに幹事を引き受けているのですが(幹事の特権と何度言ったかな)この辺で止めます。
誰かがこれが最初で最後のクラス会だろうと言っていましたが、どうぞお元気にお過ごしください。お元気でしたらまたどこかでお会いできることがあるでしょう。