アシジの聖フランシスコの「ほんとうの喜び」
フランシスコは兄弟レオネに次のように教えました。
「たとえ奇跡によって目の見えない人を見えるようにし、耳が聞こえない人を聞こえるようにし、身体の不自由な人を治し、死んだ人を生き返らせたとしても、たとえすぐれた知恵によってあらゆる書物に通じ、人間の奥底まで見通すことができたとしても、たとえ天使のことばを語り、鳥、魚、すべてのけもの、人、木、石、水の本質を悟ったとしても、たとえすぐれた説教によって不信仰な人々をことごとく改心させたとしても、そこにはほんとうの喜びはない。
私たちが雨にぬれ、寒さにこごえ、泥にまみれ、飢えなやみながら夜遅く修道院に着いて門を叩いたとき、門番が腹を立てて出てきて、『世間をあざむき、貧乏な人の施しものを盗み取る悪党ども、さっさと立ち去れ』と門をあけてくれず、さらに門を叩き続けると、怒って出てきて、ののしり、ほほを張りとばして追い立て、ついには『うるさいやつだ、目にもの見せてくれるぞ』とどなり、棒をもってきて、地上に引き倒して雪の中にころがし、容赦なくなぐりつけたとする。それでも私たちが一切を忍び、甘んじて腹も立てなければ不平も言わず、さらにへりくだり、門番の言ったことはほんとうだ、神がかれを使って私たちにそう語らせているのだと、キリストの苦難を思い、喜んでがまんするなら、そこにこそほんとうの喜びがある。」 (聖フランシスコの小さき花からの要約)