宗教と宇宙論

 世界にあるさまざまな宗教は、それぞれ固有の宇宙観を持っています。世界がどうやって出来たのか、どうなっているのかということです。
○ 日本神話では原初に天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)があり、次に高御産巣日(たかみむすび)、神産巣日(かみむすび)の神が現れ、この造化三神が天地・山河・自然を創世したとあります。
○ ギリシャ神話では、はじめにカオス(混沌)があり、その中で重いものが下にさがってガイア(大地)が生まれた。次いでエロス(愛)が誕生した。またカオスからエレボス(闇)とニュクス(夜)が商事、この二つからアイテル(天上の光)とヘメラ(地上の光、昼)が生まれた……と続きます。
○ 仏教ではあらゆるものは因縁によってできてきたもので、常に流転して変化しつづけている空なるものと見ますので、最初に誰かが創ったという考えは妄想として否定されているように見えます。世界は須弥山という山がこの宇宙の中心に聳えているのですが、まず虚空に巨大な風輪が浮かんでおり、その上に水輪が乗り、その上に金輪が乗り、さらにその上に須弥山が乗っていると想像されています。
○ カトリックでは(カトリック以外のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教みんな同じだと思いますが)、初めに、神は天地を創造され、光と闇を分け、大空と水を分け、地と水を分け、草と木を造り、太陽と月を造り、魚、鳥、地上の動物、人を創ったとなっています。

○ 現代の科学では、宇宙の創造は100数十億年前のビッグバンで始まったという仮説が主流のようです。そして現代までの長い宇宙の創生、地球の歴史があり、生物は進化を遂げたということです。

 私は、現代の科学技術の発展を誰も想像できなかった時代に、霊感を得たと信じる宗教創始者とその周辺にいる洞察力と想像力の豊かな人たちが考えた聖典の中で記述されている宇宙の創造、物質の成り立ちなど現代では自然科学の領域である分野について、これを神学的なこじつけにより正当化しようとする宗教的説明はもはや断念して、宗教と科学は矛盾しない範囲でお互いの分野を確かめる時代に来ているのではないかと考えはじめています。

 一神教の天地創造の神を考える限り、宗教的にはビッグバンは神の意志であり、50億年前に地球が出来たのも、35億年前に地球上に生命体が発生したのも、それが進化して数100年万年前に人類の祖先が進化の中で枝分かれしたのも、その瞬間に神の意志が働いた信じることは出来ます。この考え方で、どんな瞬間にも神の意志が働くのであれば、広島の上でウラン235が爆縮されて臨界点に達して核分裂を起こそうとする瞬間に、1個の原子核分裂の時に発生する中性子の数を3個から1個に減らすだけで(物理現象の定数の変更)、あの大惨事は避けられたはずです。

 最近(2009年秋)ベストセラーになった大谷光真著「愚の力」の中に第14世ダライ・ラマと大谷光真との対話が巻末にあり、その中でダライ・ラマは「仏教では須弥山(世界観の中心に聳える山)について説きますが、これが現在の宇宙論とどう関係するのか。仏教の宇宙論の一部は現在の科学者の研究とは異なっており、理論的に合わないことは排除するべきだと考えております。時代に合っていない仏教の古い概念は失くしても問題はありません」と述べられていることに感銘を受けました。