西田天香さん
「釈尊に『飢饉の年には托鉢をなさらぬがよろしかろう』と尋ねたら、『飢餓年にはなお托鉢せねばならぬ』と答えられた。」
この言葉は、仏教に詳しい人であれば良く知られている言葉かも知れませんが、私は、西田天香さんの「懺悔の生活」で初めて目にしました。生涯を托鉢に生き抜いた天香さんは、心からこの言葉を紹介されたものと思います。
「金が悪いというわけではない、金は何でも買えるということが悪いのです。金を大事にする気持ちは所有欲の変形です。一切の所有欲を巧みに金は代表しています。ここでいう金は所有欲の意味なのであります。」(懺悔の生活)
天香さんは明治の初めに滋賀県に生まれ、青年団活動を滋賀県知事に認められ、北海道開拓事業の主監となって敏腕を発揮したが、日清戦争後の経済不況、災害、友人の裏切りなどで事業が行き詰まり、出資者と入植者の板挟みなどで窮地に立って主監を退任した。失意の求道と放浪の後、「金」とか「資本」についてとことん考え、32才の時長浜で大悟したのです。
それは、自分が生きているのではなく、生かされている。天が自分を必要とするなら、食べさせてくれる。奉仕をしたり、托鉢をしても、それは自分が何かを貰うためではない、もし自分が生かされているなら、それに必要なものだけをいただく。それ以上は受け取らない。完全何も持たない生活は、天に信頼し身をまかせ切ってこそ出来る。これからそのような生活を送ろう。と決心したのです。
それから始めた「懺悔の生活」は、他人の嫌がることを奉仕すること。見知らない他人の家の汚れたところ、便所などを掃除することなどで奉仕し、報酬は受け取らない。このような自分を生かそうという気持ちがあれば、最低限の食べ物だけしかいただかない生活です。
アシジのフランシスコが宗教裁判の司教の前で、親から受け取ったすべてのものを、衣服まで脱いで裸になり、神に生涯を委ねることにしたことを思い出させます。
日本のフランシスコとして良寛さん、明恵上人、真盛上人が良く知られていますが、天香さんを知ってとても嬉しくなりました。