東京の教会(その12)
大森1991. 7.28

 先先週が東京の北の端で、先週は衣笠でしたから今週は一番南の区、太田区の大森カトリック教会にしました。どうしてこうあっちこっち気ままに選ぶのかとお尋ねですか。今回は5年前の前回に続いてぜひ東京23区内の教会全てを巡り尽くしたいと頑張っているところですが、そのために最近前回の教会訪問記録を整理して見ました。前回は住まいは新宿から30分程の調布にいましたが、まず近く行きやすいところと、有名な所から巡っていきました。カテドラル、四谷、それから高級地で有名な田園調布とか、成城とかです。ここであいうえお順にリストアップしておくと次のようになるのです。
 赤堤(世田谷区)、麻布(港区)、上野(台東区)、荻窪(杉並区)、神田(千代田区)、喜多見(世田谷区)、麹町(千代田区)、三軒茶屋(世田谷区)、渋谷(渋谷区)、成城(世田谷区)、関口(文京区)、世田谷(世田谷区)、築地(中央区)、田園調布(太田区)、豊島(豊島区)、初台(渋谷区)、碑文谷(目黒区)、本郷(文京区)、本所(墨田区)、松原(世田谷区)、目黒(品川区)です。23区内教会以外にも小平(小平市)、調布(調布市)、八王子(八王子市)、それにエポペです。
 今回は報告しているように、これまでは2度目もあり、関口(文京区)、麹町(千代田区)、エポペ、神田(千代田区)、高円寺(杉並区)、浅草(台東区)、高輪(港区)、赤羽(北区)、板橋(板橋区)、足立(足立区)となります。
 もう残りはそう多くないので、教会所在地´91の東京都23区のはじめからつぶしていくことにしました。今回は大森、次回以降は特に事情が無ければ葛西、蒲田、亀有、と続き12教会あります。楽しみです。
 ともかく一番南ですから山手線の品川から京浜急行に乗りました。品川は山手線大塚とちょうど反対側にあり30分程かかります。京浜急行はそこから各駅停車で6つ目の大森海岸で降り、10分ほど歩いてつきました。9時半からのミサに8時に家をでました。ちょっと面白いのは、品川を出て最初の駅が「北品川」なのです。南に向かって走っているので一瞬勘違いしそうです。大森海岸は昔はまさに海岸だったのですが、いまではその東側に埋立てにより、大井競馬場、平和島などが壮大に広がっています。
 駅を降りると、その東側に第一京浜国道(国道15号線)が走っています。ここらあたりでは片道5車線、往復では10車線の広い道路です。歌に名高い(夜霧の)第二(京浜)国道(国道1号線)はここから西3キロあたりを平行して走っています。
 どこの教会でも、まず教会所在地´91で住所を調べ、手元の地図でその場所を確かめます。比較的詳しい地図なので大抵のカトリック教会は出ているのですが、出ていないところがところどころあるのです。考えてみましたら、保育園か幼稚園を併設しているところは教会ではなくそちらの方が表示されていることに気付きました。一般の人にとったらその方が便利かも知れません。とにかくその住所と教会の住所が同じであることを確かめて出掛けます。良く京都は分かりやすいですという「京都」の人がいますが、私の経験では地図で探すとき前もって十分見ておけば東京は便利です。というのは地名、番地が大変多く、分かりやすく表示されているからです。私は慣れましたので地図一つでどこにでも行くことができます。分かりやすい京都で、高辻柳馬場に見当付けていったとき、どの道が仏、高、松で、どの道が富、柳、堺なのか表示がなくてうろうろしたことがありました。 教会は表は幼稚園だけが目立ちましたが、中にはいってちょっと珍しかったのが、聖堂が縦に短く横に長かったことです。つまり祭壇に向かって前後の2倍程横幅があったことです。祭壇を囲む雰囲気はありましたが、前後は椅子が5列程しかありませんでした。初めての教会で前に座る勇気はありませんし、後ろの方はもう固まって座っている人がいましたので、右端の4列目にしました。前にオルガンがあったのでひょっとしたら聖歌隊席かなと落着きませんでしたらやはりそうで答唱詩編のときは皆立って歌っていました。しかしそのお陰で若い綺麗な、そして紺のスーツをスマートに決めているお嬢さんがオルガンを弾くのがよく見えました。
 朗読も聖体奉仕もそうですし、私なんか信徒会長として最後のお知らせをするのになんとなくミサ中落着けなかった経験がありますが、ほかにも子供達の面倒を見たり、献金の準備をしたりミサはいろいろな人の役割分担、心配りで成立っています。その中でもオルガン奏者も大変だなと気付きました。演奏しているときだけでなく、次の楽譜を準備したり、スタートを間違えないようその時間が近付くにつれ緊張してくる様子がよくわかって痛々しいほどでした。衣笠でもご苦労様なことです。
 ミサの前にプリントが配られて一緒に「徳川神父様」の病気回復を祈りました。こちらの主任司祭で最近脳こうそくで倒れられたそうです。従ってミサは近くのドミニコ会のフォンソ神父様でした。
 私の隣に若い女性が座りました。かなり短いミニスカートでしたが、驚いたことに着席すると足を組んだのです。朗読や説教のときなど座ったときは必ず足を組んでいました。ベールを着けていなかったので洗礼を受けていないのかなとも思いましたが他の立ちふるまいは慣れているようでしたし、聖体拝領は私のあとに続いて来ましたので未信者ではないようです。私が気を取られたかどうかは別にして、ちょっとまずいなと思いましたが、さて注意したものかどうか迷いました。衣笠でも女性でときどき見掛けることがあります。日本の女性でもです。足を組むのはリラックスした姿勢であり聖堂の中ではふさわしくないと思います。迷ったあげく結局ミサが終わって最後に「失礼ですが、聖堂の中では足を組まないほうがよいと思いますよ」といいましたら、「あら、すみませんでした、知らなかったものですから」と快く聞き入れてくれました。憎まれ役を引受ける年になったことだと感じました。
 福音はイエス様がパンを増やす奇跡を行われたところで、「12の籠に一杯になるほど増やされたことは無駄なことだと思うかも知れないが、神様は私達にとって有り余る程のお惠を下さるのだ」との説教でした。福音のこの場所は、奇跡により実際の量を増やしたのではなく、僅かなものでも皆で分けようということが皆の心をうち、隠し持っていたものも全て出し合うことになったという考えもあり私もその方が素直に受取れるのですが、神父様のこの説教も心に残りました。
 共同祈願はプリントされているとおりに一緒に唱えていましたが、その教会の特別な祈りについては「主よ、私達の祈りを聞き入れてください」と答えていました。
 終わってからの皆の挨拶の様子を見ても和やかな雰囲気が感じとられ、神父様にお礼をいって教会をあとにしました。