東京の教会(その7)
高輪1991.6.16

 6月16日(日)は高輪(たかなわといいます)の教会にしました。少し古い話ですが、ほら「汽笛一声新橋を・・・」という鉄道唱歌の2番に「右は高輪泉岳寺・・・」とある高輪です。ご存じのとおり忠臣蔵の47士のお墓があるお寺です。東京駅から東海道線を下ってくると新橋の次が品川です。山手線では東京、有楽町、新橋、浜松町、田町、品川となりますが、東京駅から10分程度です。この品川駅を降りて京都に向かって右手の高輪口の改札を出ると正面に品川プリンスホテルがそびえ立っています。その右手の道路を真っ直ぐ少し上り坂を行くと5分程で左手にカトリック教会がみえます。右手は新高輪プリンスホテルの正面にあたり、大変分かりやすい場所といえます。
 門構えは古い由緒ある武家屋敷風で、5年前に来たときにはこの門が閉じていました。カトリック教会と大きく書かれた表札があります。奥に対照的な近代建築が見えます。これが聖堂で中に入って驚いたことには、新しくできたところで大変きれいでしたが、(ミサ後隣の美しい奥さんに声をかけて尋ねたら2年前に完成したといっておられました)その様式は古いゴシック風だったのです。昔の河原町教会をご存じの方は、木材の柱が上に伸びてゆるく曲り、天井で交差してドームを形成している情景を思い出していただけるでしょう。それが木材ではなく銀色に輝くアルミ材だったのです。柱も、屋根も、壁も軽合金のアルミニュウムです。祭壇とその付近は背面の壁、床なども大理石でしたが、それ以外はすべてアルミとガラスで出来ているようでした。丸い柱、角材、板などの構造材がある所では溶接され、またある所ではボルトとナットで締結され機能美をかもしだしていました。
 ミサの前に先唱者が話し始めました。「本日のミサの奉仕者は、第1朗読誰々さん、第2朗読誰々さん、聖歌隊のオルガン奏者は誰々さんです。では司祭の入場です、お立ち下さい、聖歌カトリック聖歌集・・番です」。そしてその後も朗読に入ると「第1朗読、奉仕者は・・・さんです」、聖体拝領の時は「これから聖体拝領が行われます。聖体拝領はカトリックの洗礼を受けた信者のみいただけます。洗礼を受けておられない方は後に神父様の祝福をお受けになることができますのでそのときにお並び下さい」と、それはまあ懇切丁寧に案内していました。聖歌隊のオルガン奏者にもきちんと合図を送っていました。 ミサ時間は土曜の夜と、日曜朝8時と9時半の3回でした。私は9時半に与かりましたが、聖堂内は200人位座れる椅子にかなり一杯の感じでした。140人から150人位でしょうか。聖歌集は東京の大抵の教会とちょっと違ってそれぞれの座席のところに3冊ずつ予め置いてあったのは便利でした。
 司祭は後にうかがいましたら岩崎神父という中年の迫力のある方で、福音書はからし種のところでしたが、説教は抽象的な話ではなく高輪教会の初代の主任司祭のケリー神父が宣教師として独りで日本に来られ、10年程前に亡くなられたとき霊安室に何の飾りもなく一人でぽつんと安置されているのを見て、からし種として使命を終え天に召されたことを強く感じたと話しされました。とても印象に残りました。
 日曜学校の子供達は14,5人いて、説教が終わった後神父様が「これから日曜学校の子供達が入ってきます。少しお待ち下さい」といわれた後入堂してきました。聖堂の前から2列目までが子供達の席で、「日曜学校の子供達の席です」と日本語と英語で書かれた札が置いてありました。心配りが感じられました。
 ミサ後神父様にお礼を言い、指輪ロザリオを祝別していただきました。前の週仕事で長崎に出向いたときに、昼30分程時間がとれたのでタクシーをとばして大浦天主堂にお参りし記念に求めたものです。そうそう大浦天主堂も3度目したが、前の河原町教会と同じ木造のゴシック様式でしたね。私はもうずっと以前から通勤途上でロザリオを唱えるのが習慣になっていて、嵐電たかをぐちから天神川通りを歩いて下りながら唱えていました。東京の通勤は電車がもう超満員で腕を動かすことも出来ない状態なので、普通のロザリオを繰ることはなかなか難しいのです。これは指輪になっていて「めでたし」を10回数えられるようになっているので中指にはめて親指で一つづつ繰ることが出来て大変便利です。毎日山手線の大塚から上野に着く頃までに1環唱え終わります。美人のOLが目に着きますと気をとられて神田に着く頃やっと終わるということも時々あります。