東京の教会(その1)
関口1991. 4. 7

 皆さんお変りありませんか。私は4月1日東京に着任し、居を豊島区南大塚(山の手線大塚駅近く)に構えました。
 第1週の4月7日の主日には家内が住いの整理に来てくれましたので、観光案内を兼ねて東京教区の中心であるカテドラル関口教会のミサに与りました。手元に1990年版の教会所在地がありましたので、それで確かめ10時からのミサに行くことにして池袋から地下鉄有楽町線で江戸川橋で降り、歩いて10分ほどで9時半過ぎに教会に着いたらもう福音の朗読の途中でした。今年から時刻が変わったということなのでやはり最新の1991年版で確かめる必要がありました。早速買い求めました。
 カテドラルは上空から見ると十字架の形をした、コンクリート製のモダンな建物です。私は3度か4度目になります。前回は4年ほど前こちらで同時に5人の司祭の叙階式が行われた大変華やかな時でした。
 今回は花冷え、雨のせいか広大な聖堂に信者がまばらという寂しさでした。それでも典礼、聖歌の案内、献金などの信徒のミサの世話は整然としたもので感心しました。またミサについていくつか気が着いたことがありますので紹介しましょう。
 まず聖歌集については、いつもかさばる2冊を教会に持参するのがことですが、ここでは大きさが典礼聖歌集ほどの、聖歌、典礼聖歌の主要なものをまとめて1冊にし、東京教区用としているようでした。さらにそれは聖堂の後の棚においてあり、共同用として使い、持ち帰る必要がないので便利だと思いました。
 献金については集めたあと前に持って出て、祭壇の近くに置いてある小さい机の上にのせていました。
 聖体拝領は衣笠のように皆一斉に立って長い列を作るのではなく、前から1列ずつ立って横にでて、その次に次の列の人が立って並ぶというようにしていました。
 ミサの終りに神父が「行きましょう主の平和のうちに」と言うと、信者が「神に感謝」と言いますが、ここでは「主の福音を伝えるために」と答えていました。この箇所はかねがね「神に感謝」なんて日本語があるものか、「ありがとうございました」となぜいわないとか、とかく不評でいろいろな意見があったところで、東京のカテドラルで変えているのだから衣笠教会で勇気をだして変えてみたら、と思いました。
 聖堂の出口で加藤さんの奥さんとばったり合い、話がはずみました。私と逆で加藤さんは奥さんが東京、御主人が京都の単身生活ということでした。
 聖体拝領を手伝われた沢田神父を家内が知っているというので信徒会館へ立寄りましたら、ちょっとした昼食がどれるようになっていたりして和やかな雰囲気であり、声をかけるとこころよく神父に連絡をとってくれました。なれていない人に暖かく応対するということは本当に大切なことだと思いました。