日 時 2005年7月24日(日)11時半開演
場 所 フェスティバルホール
私は初めて宮城会全国演奏会を聞きました。フェスティバルホールに行ったのも初めてでした。
宮城社は宮城道雄が11歳で箏・三絃の免許皆伝を受けて教授活動を始めた年を創立とし、100周年を迎えました。また戦後結成された宮城会の創立55年にも当たる記念すべき年であり、出演者総勢1,200人とありました盛大な催しでした。
私は朝1番から、戸波先生出演の、11番目の「奈良の四季」まで聴いて、夕方京都で所用がありましたので残念ながら途中で退出しました。奈良の四季は近畿の人たちによる30数名の演奏で、遠目で見分けることが出来たのは、富永先生と戸波先生だけでした。場内は撮影禁止でしたから写真は1枚も撮れませんでした。
隣りに数名の若い女性が座っていて、演奏の合間に少し話をしましたが、友人が13番目の砧に出演するのでそれを聴きに来たと言っていました。プログラムを見せたら、砧ってどう読むのですかと尋ねられ、少し解説などしましたが、私の横に坐っていて話をした若い女性は、とても清楚で可愛らしい人でした。
フェスティバルホールは、50年近く前私が学生だったころ出来上がったあこがれのホールで、何時か行きたいと思っていて、ようやく念願が叶いました。
大学の卒業式の後、一人表彰を受け、高揚した気分で町に出たとき、フェスティバルホールではなかったのですが、当時ロンティボーコンクールで3位に入賞したという評判の中村紘子がショパンのピアノコンチェルトを弾くというポスターを見かけて、ほとんど飛び込みの感じで入ったことが、強く印象に残っています。何故かフェスティバルホールのことを思い出すと、その時の若かった中村紘子を思い出します。