2006. 4.30 エジソン展の蓄音機
京都文化博物館で、発明王エジソン展をやっていたので、見学しました。わたしは子どものころから新しい物を工夫することが好きでした。小学校6年のときエジソンの伝記が国語の教科書に載っていました。鉄道で働いていた少年のころ、殴られて片方の耳が聞こえなくなったという話が印象に残っています。わたしがエンジニアを目指したのはエジソンの影響がとても大きいと思います。(今はヘンジニアになりましたが)
展示場にはまず白熱電灯が目に付きましたが、何故かいろいろな種類の白熱電灯が沢山出展されていていました。わたしには1個で十分でした。沢山のいろいろな電球には関心ありませんでした。
当時の蓄音機によるレコードコンサート始めたので、聴きました。ゼンマイを手で巻く方式でしたが、誰か巻いてみませんかと言われて真っ先に手を挙げました。子どものころは家にあった蓄音機を思い出しました。そのころは電気式は電蓄と言っていましたが、手でゼンマイを巻いた蓄音機でレコードを聴いた覚えがあります。エジソンが発明した当時のシリンダー方式の蓄音機でしたが、思ったよりはっきり音楽が聞こえました。
手作りの蓄音機が置いてあって、誰か実験して見ませんかと言われて、これも真っ先にわたしが手を挙げました。シリンダーはプラスチックのコップで、右の写真がそうです。大きい声で「エジソン展に来ています。わたしは子どものころからエジソンを尊敬していましたので、感動しています」と叫んだら、小さい声ですがはっきり聞き取ることが出来ました。写真のコップの上1/3くらいの少し曇ったように見えるところに音声の溝が刻まれています。
当然映写機も出展されていました。わたしにとっては、白熱電灯と蓄音機と映写機がエジソンの3大発明と思っています。
2006. 4.24 見ないのに信じる人は幸い
復活祭の次の日曜日の今日の福音は、ヨハネ福音書20:29の、カトリック信者の間ではよく知られている言葉です。ヘンジニアとしては? 信仰の世界はそういうものだとは思いますが、本当に見ないのに信じるとはどういうことか考えて見ました。見なくても、信頼している人、尊敬している人の言うことは信じるということはあります。また、見るということは、必ずしも視覚的、光学的に自分の目で見るというのではなく、心の目で見て信じるということがあるでしょう。
特に信仰の世界では、何もなしに盲目的に信じるというのではなく、それなりに自分の信仰体験があって信じるものだと思います。キリスト教ではそれを「イエスに出逢う」とか「信仰体験」というのでしょう。それがあって初めて(言い換えれば、「見る」という体験があってこそ)洗礼を受ける気になるものと思います。単にキリスト教義の知識を積み重ねるだけで信仰に入るとは思えません。
自然科学の世界で、例えば地球が球状をしているというのは、人工衛星にでも乗って地球を観察しない限り誰も自分の目で見ることは出来ないと思います。航空機で地球一周をして、地平線がかすかに曲がっていることを見るのは出来るでしょうけれど、それは球であることの傍証のような気がします。なぜわたしが地球は丸いと信じているかというと、物心ついて依頼大勢の尊敬する先生たちに教え込まれ、その後メディアでそういう情報があふれているからという気がします。
ヘンジニアの基本姿勢としては、やはりきちんと信じられる根拠が欲しいですね。
2006. 4.23 北野おどり
今年の北野おどりは、21日に行ってきました。わたしの地唄の師匠の戸波先生と一緒でした。ここ10年来、毎年春の北野おどりと秋の寿会の公演は、ほとんど欠かしたことはありません。行けなかったのはほんの2、3回。戸波先生の弟子の市まめちゃんが、舞妓姿もすっかり馴染んで、落ち着いた踊りを見せてくれて、今回はとりわけ楽しむことが出来ました。
市まめちゃんの出番は舞妓の「さくら」と、フィナーレの総踊り「上七軒夜曲」。舞妓も人数が増えて、とても華やかになりましたね。
2006. 4.18 イエスの復活 ふたたび
復活を祝っているのは、「イエスが死んでから生き返ったこと」を祝っているとは思えないというのが、わたしの信仰告白でした。イエスは肉体的に生き返ったかどうかが一番重要なのではなく、弟子たちが「イエスは生きている」と体験したということがわたしの信仰にぴったり合うのでした。
あれから数人の司祭にわたしの考えを話して見ました。そうして分かったことは、わたしが40年前にカトリックの教理として死んだ人間が生き返った、それがカトリックの信仰の原点だと教えられた、どうやらそれがわたしの、はっきり言えば誤解だったと思うようになりました。
ある司祭は、「復活」という日本語への翻訳が誤解を与えるものと言われました。原語では「立ち上がる」という意味だと言われました。
一番大切なのは、人間としてイエスが生き返ったかどうかではなく、イエスが「生きておられる」という弟子たちの体験であり、弟子たちだけではなく、その後の信徒たち、そして現在に至る2000年間の大勢の人たちがそれを証ししている、それを信じることがわたしの信仰です。
2006. 4.12 イエスの復活
今週の金曜日が聖金曜日で、イエスが十字架に磔にされたことを記念し、翌日の土曜日の夜、復活の徹夜祭を祝います。ユダヤでは夜はもうその日が終わるので、私の教会でも夜7時半から日曜日ということでイエスの復活のミサを行います。
カトリック信者の私は、40数年前に洗礼を受けたとき、イエスが復活したことを信じると宣言しましたし、今でも毎日曜日のミサの中で「十字架につけられて死に、葬られ、陰府に下り、三日目に死者のうちから復活し」と唱えています。洗礼を受けた前後には、イエスの復活に何の疑問もなかったのですが、その後今までなんとなく釈然としない気持ちがありました。(それでもお前はカトリック信者かと言われそうです)
それが、最近ようやく明快になりました。もちろんヘンジニアとしての立場も合わせてです。そのきっかけとなったのは岩島忠彦師の「イエスとその福音」を読んだときです。それまで私はイエスの復活というのは、イエスが死んだのに生き返ったことだと思っていました。最近次のように考えて、迷いはなくなりました。
「イエスが死後生き返ったかどうか、それは復活の本質ではない。弟子たちが「イエスは復活した」と体験し、それを死をかけて証明したということが復活の本質である」ということです。(ただしこれは私個人の信仰であり、カトリックの教えから少し離れているかも知れませんが、私は納得です)
2006. 4. 8 ワードがプリント出来ない
私の知人から、「ワードでプリントしようとしたのだが、剥離紙にプリント出来ない」と相談がありました。私はけっこう長い間パソコンとつきあっていますから調べて見ました。分かったことは次のとおりでした。
(1) プリンターしようと思ったら、「給紙か排紙にトラブル」というメッセージが出てくる。
(2) プリンターに剥離紙ではなく普通紙を入れても同じメッセージが出てくる。
(3) プリンターは他のワードは問題なくプリント出来る。
(4) プリント出来ないワードは、何かのラベル印刷ソフトで作ったものである。
(5) このワード文書は、他社のプリンターならプリント出来る。
(6) プリンターのドライバをもう一度CD−Rからインストールしたが結果は同じ。
(7) 結論として、このプリンターはある種のワードのプリントが出来ないことが分かった。
(8) メーカーの話では印刷出来ないのは欠陥のあるワードでありプリンターの責任ではない、他のユーザには納得して貰っているという。
(9) パソコンメーカーにも問い合わせ、プリント出来るプリンターメーカーにも問い合わせたが、ワードが問題でプリントできないという話は聞いたことがないという。
以上のことから、プリント出来ないワードは、ワード側に問題あるという考えは正しいかも知れないが、それをプリント出来ないようなプリンターは、使いたくありません。使っているユーザーは、ワードを作り直ししなければいけないわけであり、気の毒だと思います。
2006. 4. 8 大和最後の日
昨日、4月7日私の先輩の碁仇と碁会所で烏鷺を戦わせていました。相手の方は高齢で、数日前に海軍予備学生の同期の集まりに熱海に行って来たということです。それで私が「男たちの大和」を見て気に入ったことを思い出して尋ねてみましたら、当然その方もこの映画を見ていて、そして撃沈される直前、最後の出航を呉で見送ったという話をしてくれました。昭和20年のことです。
それで、ふと思い出して、今日4月7日はひょっとして撃沈された日ではないかと尋ねたら、まさにそうでした。碁会所でとはいえ、ちょうど昨日その日に、その方と大和の話をした偶然の不思議さに驚きました。
私は「男たちの大和」に感動しましたが、もうひとつ興味がわいたのは、エンジニアとしての大和の構造です。航空機からの猛攻撃に対して、機銃を打ち続けるのですが、その防護板が床から少しの高さしかありませんでした。銃身を上下左右に自由に動かして照準を合わせるためには、本体に取り付けてある小さい防護板しか仕方ないのかも知れませんが、空からの攻撃に裸で身をさらしているように見えました。主砲、副砲、高角砲にはそれ相応の防護がありました。対空用改造には十分な時間がないという事情もあったでしょうけれど、砲弾にはともかく、機銃弾にはかなり有効な防護方法があったのではないかと思いました。
2006. 4. 6 ロボワン
一昨日、テレビでロボワンワールドカップ2006という番組を、興味深く見ました。世界規模かどうかはともかく、比較的小型のロボットの驚きの動作が沢山ありました。私はもうずっと以前から行われている高専や大学対抗のロボットコンテストをよく見ていますが、今回は楽しむことが出来ました。いわゆるロボコンはもう20年くらい前からでしょうか、私の大学時代の友人がロボット技術の専門家になり、もう退職したでしょうか教授でがんばっていたのに、皮肉混じりに言ってやったことがあります。「今やっているのはロボコンというより、リモコンテストだね」と。
何をロボットというのかというのは簡単ではないでしょう。チェコの小説家がこの言葉を使い始めたことは、ずっと以前私がこの教授に教えてやりましたが、少なくとも建設機械を運転するように、ハンドル有り、レバーありの操縦でなにやら派手なだけでよく分からないゲームを競っているので、人工知能のかけらすらあまり見られず、ただ遠隔操作をしているように見えたからでした。
もちろんリモコンですら努力の積み重ねで高度の技術を使っていることはわかります。自律性より細かい動きを創意工夫で作り上げ、ゲームを競い合うことはなかなか大変なことであり、その効果もあるとは思います。しかし結局長いケーブルを引っ張っていて、これがロボットというのはどうもピンとこなかったものですから、憎まれ口も叩いたわけです。
今回のロボワンワールドでは、少なくともそのケーブルがありませんでした。動力はバッテリーでしょう、制御は無線操縦というだけで本質的にロボコンと同じようなものかも知れませんが、少なくとも見た目には魅力がありました。パフォーマンスもなかなかのものでした。
まあ希望するのは、毎年NHKが行っているモコンコンテスト、もっと言えばメカコンテストから、もう少しルールを簡単にして分かりやすいゲームを、電子頭脳で競うことが分かるように、そして動力と制御のための線はなんとかなくして欲しいと思いますね。
2006. 4. 3 町内会長終わりました
3月末で、2年間勤めました町内会長を無事終えました。2年前、みんなから町内会長はおまえしかいないという感じで全く晴天の霹靂。驚いたのですが4人の役員のうち見渡したら私が一番年長なので、覚悟を決めました。
それから2年間は、毎日町内で犯罪や火災、災害がないことを祈っていました。どろぼうが1件、猪の出現が1件あった程度でした。いろいろな活動は、若い役員の人たちが手際よく進めてくれて、会長の出番はほとんどなくて済みました。
2度区民体育祭の後の夕方から夜にかけて行った「ふれあいの会」で、どちらも100人を超える町内の子どもや大人の参加があって、日頃なかなか話も出来ない町内の方々とゆっくり一杯傾けることが出来ました。大勢の人たちが会場の設営、食べ物、飲み物の準備など助け合っていただきました。
福王子神社の大祭に2年とも参加できて、鉾の軽トラの運転して広い町々を走り回りました。本当は御神輿担ぎをしたい気持ちはありましたが、どうやら私にはむりなようでした。運転中は一滴の酒も飲むことが出来ませんでしたが、その分終わってからのビールのうまかったこと。
日常の市政協力委員としての役割、ポスターの張り出し、資料の配付、回覧などは大抵家内がやってくれました。それにしても、体育振興会のスポーツが毎月のようにありましたし、交通の見回り、お年寄りへの目配り、子どもの登下校の付き添いなど、実に多くの人々が自分の時間を割いて地域のため、社会のため、いわば自分のためでなく人のために活動していることを知り、感動した2年でした。