作成日時 : 2007/09/19 07:46
第4 殉教を迫られるほどの苦しみに直面したときはどうしたらいいか(続き) 4、このことから、もし人がキリシタンであることを理由として、財産を失い、辱めを受け、厳しい暴行をその身に加えられた場合、その徳は非常に大きいものである。しかし、死ななければ殉教ではない。命がある人が殉教者になることは決してない。 またキリシタンとして処刑されようとするときに、それを防ぐために抵抗し、防戦してついに叶わずに負けて殺された者は殉教ではない。それは主に対して自分から命を捧げたことにならないからである。聖マウリイショは、ローマ軍の士官で数千騎の大将であったが、敵を防ぐために少しも戦わず、兵器を投げ捨てて殉教者となった。 もし、仕えている主人が、その勤めに怠りがあったとして奉公人のキリシタンを死罪にするとき、その刑を喜んで受けたとしても殉教ではない。それは、その処刑の目的がキリシタンであるからではなく、また善い行いによるものでもないからである。 |