殉教者の生き方 7

  作成日時 : 2007/09/16 18:30  

第4 殉教を迫られるほどの苦しみに直面したときはどうしたらいいか

 1、殉教は死ぬことである。まず殺されることを喜んで忍ぶこと。たとえどのような苦しみを耐えても、死ななければ殉教ではない。死ぬということは、首を切られたり、火あぶりで焼き殺されたり、磔にされて殺されるだけではない。例えば食べ物を与えられずに飢え死にしたり、流刑にあっている間に死んだり、牢獄の中の苦しみに耐えかねて死ぬこと、あるいはそのほかの苦しみの中で死ぬことがあれば殉教である。
 2、処刑される者が思慮分別あるものであれば、その刑を避けず喜んで耐え忍んで受ける場合は殉教である。もしその処刑をいやがって死ぬことがあれば殉教ではない。分別のない子どもの場合は、それを避ける気持も生じていないので、殉教である。例えば母の乳房を含む子どもは、キリシタンではないといっても、母と一緒に殺されたなら、母はその命を主に捧げたのだから、母も、子も殉教である。幼子がまだ洗礼を受けていない場合でも、お腹の中にいる子でも、母がキリシタンということで殺されたなら、子どもたちもみんな殉教である。
 3、死刑に処せられる理由として、キリシタンであるとしてに限らず、善行をするとか、悪事をしないとして殺されれば、これも殉教である。