戸無瀬の滝

 先日のゴールデン・ウイークで、毎年春と秋に家内と散策して昼食をとる習慣になっている嵐山に行って、戸無瀬の滝に立札があるのに気づきました。
 嵐山の渡月橋を渡って右岸(下流から上流に向って左手の岸)を400メートルほど上ると滝があります。ここは地唄の『西行桜』に出てくる、戸無瀬の滝です。時おり通りかかる観光客が、戸無瀬の滝であることを知らずに立ち止まって眺めているのをよく見かけます。
 3年前、私は京都市に、ここに石碑か何かの表示をしていただけないかとお願いに行きました。その時は、名勝として国の文化庁の管轄区域になっていて、京都市が石碑を立てることはできないこと、あの場所が戸無瀬の滝であるという根拠がはっきりしないこと、滝の上部に砂防ダムが建設されて少し景観を損ねているなどの理由で、難しいでしょうとのことでした。間もなく文化庁が京都に来るので、理解して貰えるのではないかと期待していました
 昨年秋に通りかかったときにはありませんでしたので、新しく作られたのでしょう、とても嬉しく、その上流の河岸にある琴が瀬茶店でとても美味しいビールをいただきました。ここは、ボート遊びの人たち相手の飲み物や食べ物を売る舟の供給基地であり、また直接ボートで訪れる人もある、風情のあるお店です。

右に流れ落ちているのが戸無瀬の滝です。 戸無瀬の滝の立札 画像をクリックすると文字が読めます。その文字内容は下に記しておきます。 戸無瀬の滝からもう100メートル上流に行くと、「琴が瀬茶屋が」があります。20年くらい前から、毎年春と秋のゴールデンウイークに、ここで家内と軽い昼食をとります。ビールがとても美味しい。

戸無瀬の滝 立札の文字内容

 戸無瀬の滝は渡月橋の上流にあり、嵐山から大堰川に流れ落ちる滝で、天龍寺蔵王権現堂の背後に位置していた。
 平安時代から多くの和歌に詠まれ、鎌倉時代の中期には、藤原定家の息子の為家が「雲かかる山の高根の夕立に戸無瀬の瀧の音まさるなり」とこの滝の様子を歌に詠んでいる。
 室町時代の初期には、天龍寺の開山である夢窓疎石が天龍寺十境の一つとして戸無瀬の瀧を三級巌と名付け、三段になって流れ落ちる様子は、江戸時代の「都名所図会(巻四『嵐山・法輪寺・渡月橋』)」や「都林泉名勝図会(巻五『法輪寺十三参・渡月橋』)」、歌川(安藤)広重の筆による「六十余州名所図会」などに描かれている。「戸難瀬」「戸灘瀬」とも書かれる。
 この滝は、江戸時代初めに角倉了以によって行われた保津川の開削工事によりその多くが削り去られたといわれている。現在、上流ではその残影を見ることができるが、明治以降、災害防止のために行われた治山工事による規模縮小、禁伐に伴い常緑樹が繁茂し、対岸からほとんど見えなくなるなど、往事の姿をうかがい知ることはできない。 
 京都市

地唄 西行桜 菊岡検校作曲

 九重に咲けども花の八重桜 幾世の春を重ぬらん 然るに花の名高きは 先づ初花を急ぐなる 近衛殿の糸ざくら 見渡せば 柳桜をこき交ぜて 都は春の錦燦爛たり 千本の桜を植ゑおき 其色を所の名に見する 千本の花盛り 雲路や雪に残るらん 毘沙門堂の花盛り 四天王の栄華も これにはいかで勝るべき 上なる黒谷下河原 昔遍照僧正の 浮世を厭ひし花頂山 鷲の御山の花の色 枯れにし鶴の林まで 思ひ知られて哀れなり 清水寺の地主の花 松吹く風の音羽山 ここはまた嵐山 戸無瀬に落つる滝津波までも 花は大堰川 井せきに雪やかかるらん